優良賞

 私の家の芝生は青い?

                        王寺町立王寺南中学校 3年 濵口 菜月

 「○○って髪の毛クルクルで目が大きくてかわいいよね。」
「そんなことないよ。○○ちゃんは背が高くてスラッとしてて、頭もいいじゃん。私なんていつも平均点以下で・・。」
「そんなことないでしょ。」
こういう会話を何度してきただろう。その度、自分がどんどんダメな人に思える。お母さんは、よく「それは、ないものねだり」と言う。人は自分の持っているものより他人の持っているものの方がよく見えるそうだ。私は目つきが悪いのがコンプレックスで、よく友達に怒っていると勘違いされていた。それで私はいつのまにかたれ目の人を羨ましいと思うようになっていた。でもその人はたれ目のことをコンプレックスとしているかもしれない。だから、私はこの考え方を卒業しようと思った。そして自分の言動を見直ししようと思った。
 私は最近知ったことわざの「隣の芝生は青い」に興味をもった。意味は何でも他人のものがよく見えること。元は英語のことわざからだったそうだ。日本のことわざの「隣の花は赤い」と同じ意味だ。自分の家にも芝生はあるが、家の芝生はいつも近くで見ているので雑草が生えていたり、まばらだったりと、欠点ばかり目につきます。隣の家の芝生は欠点がないように思われます。しかし、それは近寄って見れば分かること。それは人間も同じだ。どこに行ってもそれほど大きな違いはないと思う。自分の求めているものは案外近くにあり、心を込めて世話をすればもっと良い状態になるだろう。遠くばかりを見てもっと違う何かを追い求めてしまう。特に私。でも、これからは、遠くの青い芝生よりも自分の芝生を青い芝生にしていきたい。もしかしたら私の芝生を見て青いと思ってくれている人がいるかもしれない。人を気にしてもしょうがないので、しっかり自分と向き合っていこうと思った。
 自分を中心に考えるとは「比べない」「合わせない」「自分の長所短所を知る」「嫌なことは断われる」などだろう。私は他人を軸にして考えてしまう傾向がある。それは自分に自信がないからだと私は思っている。人の方がよく見えてしまうし、自分を否定してしまう。SNSとの付き合い方も変えないといけないと思った。SNSは自分をよく見せたい、ほめられたい、共感してほしいという目的で利用している人が多いのは分かっているが、それでもつい羨ましいと思ってしまう。私はSNSなんてものにしばられないようにしたい。
 私は隣の芝生は青いの逆のことわざはあるのかと気になって調べてみたら「我が仏尊し」意味は、自分のもっているものが他のどんなものよりも優れていること。図々しいけど、これくらいの勢いで取り組みたい。ないものをねだるんじゃなくてあるものを見つけたいと思った。誰だってあこがれることはあるけどそれで自分を否定してはいけない。自分自身を大切にして、みえをはらず、そのままの自分でいたい。
 みえのはったことばかり言っていたら、他人からそういう目で見られてしまう。逆に、自分の目標を持ち、それに向かって努力をしていたら、他人の目にも芯の通った人として写ることになる。それは信頼にもつながる。社会に出ても信頼され続けている人は、ちゃんと自分のことを理解し大切にしている人だと思う。私はそんな大人になりたい。