第1回奈良県人権施策推進本部幹事会

更新日:2004年11月18日


   第1回奈良県人権施策推進本部幹事会

   「人権尊重の視点に立った行政の推進」          

講師:寺澤亮一氏
講師略歴:(財)奈良人権・部落解放研究所理事長兼所長
       全国同和教育研究協議会顧問
       奈良県人権施策協議会委員
       奈良県教育委員会人権教育推進プロジェクトチーム委員
日時:2004(平成16)年6月24日(木) 午前10時30分~11時30分

場所:奈良県文化会館 集会室A・B

 目次

はじめに
どこかの誰かに灯をともす仕事
私たち一人ひとりの人権
人権尊重の視点に立った行政の推進
人権をキャッチする
人権が尊重されていく環境づくり
共生の世界が広がる
公務員の果たせる役割と果たせる任務の重さ
おわりに

はじめに

 基本計画ができました。うれしいなと思ってます。「人権教育のための国連10年」が、この12月31日で終わるわけですけれど、国はそれから後、何をするのか様子が見えてきませんし、この10年間も推進本部長が総理だったわけですけれども、自分が推進本部長であることをお忘れになっていた時期がございました。国会のある委員会で、ある議員が「総理、人権教育のための国連10年推進本部の本部長は、どなたかご存じですか」と言ったら、後ろの事務方を見て、「誰やったかね」と聞いたような一幕があって、ちょっとおもしろい場面があったと聞いています。
 しかし、奈良では、その10年の後をきちっと見据えたものをこのように段取りをされたということは、ありがたいなうれしいなと評価をしております。基本計画について、今、課長さんの方からいろいろ説明がありましたが、私なりに基本計画を読むときは、まず、本文の1頁の終わりの5行ぐらいをしっかり目に焼き付けているわけです。いみじくも書いてあるように、10年の最終年を迎えて、人権教育・啓発に関する法律を受けて、「引き続き」というこの言葉は、私にとっては見落とせない言葉ですね。これは、その部分をアンダーラインでも引いて欲しいなと思うわけです。
 そして、最後の2行「今後の中・長期的な人権施策の推進指針として云々」という、これは、決意であるし、県民に向けた約束であるわけですね。だから当然、期待がありますし、あこがれがあります。それに応えた、何かが新しく次々に生み出されるということは、制約があるでしょうけれども、それぞれの部署での工夫が、この基本計画から生まれていくと、奈良県は、素敵な県になることは間違いないと思います。

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どこかの誰かに灯をともす仕事 

 個人的な話ですけれども、私は、奈良県の施策の中で、人生を大きく変えられた人間の一人だと思います。これは、いつも感謝をしているんです。4歳でおやじが戦争にとられて、そのまま会っていませんし、母一人、子一人の母子家庭。ちょっと勉強が好きだったから、高校へ行きたかったんです。でも、親戚や年寄りたちは、「絶対行かさん」と言うわけですね。「行ってどんな職業につけるんや」と。就職差別がありました。「そんなことよりも、毛皮の仕事を手伝って手に職を持った方がいいで」というわけでしょう。握り拳を固めて、「行ったらいかん」と言ったじいさんの姿を、いまだに覚えています。
 中学2年生の時に、私は、奈良県知事の奥田良三さんに手紙を書きました。旺文社の中学時代という本は、その頃にもあったんですね。中学校の図書室の2階で、パラパラと見ていたら、水色の頁に奨学金のいろいろというふうな頁があったんです。パッと飛びついたのが、母子福祉奨学金。大阪と兵庫には、○(まる)が付いているんですね。奈良県や和歌山や滋賀には、○(まる)が付いていなかったと思います。その日の夜、「こんなのを見たんだけども、どうなんでしょうか」という形で、訴えの手紙を知事さんに出しました。今から考えたら、中学2年生でよくあんな手紙が出せたなあと思うんです。多少期待をし、多少あこがれを持って出したんです。
 1ヶ月もしない間に母子福祉係をなさっていた、その後、奈良県の同和問題研究所、同和対策課の前身ですね。そこで、母子福祉の仕事をなさっていた寺沢さんという方が、東和福祉事務所の佐野さんという方を伴って、ひょこっといらっしゃったんです。それも僕が帰ってくる時間を問い合わせて。「知事さんから手紙が回ってきて見たんや。ようわかった。とにかく希望を捨てないで、しっかり勉強は続けるんやで」と励ましをいただいた。
 中学を卒業する年の4月から、新しく制度ができたのか、併給禁止がはずれたのか、詳しくは知りませんけれども、県で母子福祉奨学金制度が立ち上がった。当時、宇太町と言いましたが、宇太町の子どもたちの申請利用者はダントツでした。事前PRが福祉事務所を通して、行き渡っていたのか、どうかはわかりませんが。それで、高校、大学と行って、返済が終わったのが、もう中学校の教員をしておりましたから、随分長い間かかりましたが、このおかげやなあと思いながら、ずっと返済をしてきました。やっぱり、県の施策が私の人生に灯をともしてくれたんだなと、そんなことを思うわけです。
 みなさんのお仕事が、どこかの誰かに灯をともすに違いない。基本計画がそういうふうなものを、しっかり見いだすものになって欲しいなと思います。

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私たち一人ひとりの人権

 さて、よく人権行政という言葉を聞いたり、私もしゃべったりするんですが、人権行政という言葉は、あまり好きではありません。今日のテーマは、人権尊重の視点に立った行政ですけども、行政というのは、即、人権だと思っています。だから、人権行政という考え方でいったら、「ああ人権教育課のことや」とか、「人権施策課がやってたらええんや」という形で、担当部署みたいなイメージが広がってしまうのではなく、行政というのは、住民への奉仕、そこの生活のいろんなお世話ですから、行政総体が人権なんだというふうな、そういう認識で、この計画も読むべきだろうと思うんですね。
 レジュメの中で、昔出会ったアメリカの小学校の教室の言葉を持ってきました。「よく仲良くしましょう」、「差別をしてはいけませんよ」ということは、小学校で何回も語られていますけれども。「私の人権とは、こんなことや」ということが、小学校の子どもたちがよく呑み込んでいるんかな、どうかなと気になります。そんな時に、「この教室の中で、思いやりの心をもって処遇される権利を持っている」あるいは、「私自身が認められる権利を持っている」あるいは、「安全でいる権利を持っている」具体的に、「私の人権、私の権利」が書かれているわけです。

「学校での人権宣言」(中野 光  ジュリスト 1990年6月15日 No.958より)

 私はこの教室のなかで楽しく過ごし、思いやりの心を持って処遇される権利をもっています。このことは、誰も私のことをあざ笑ったり私の心を傷つけたりしないということを意味します。
 私はこの教室では私自身が認められる権利をもっています。このことは、誰も私を黒人か白人か、太っているかやせているか、背が高いか低いか、男か女かというような理由で公平を欠く取り扱いをしない、ということを意味します。
 私はこの教室のなかで安全でいる権利をもっています。それは、誰も私をたたき、蹴り、押し、つねり、あるいは怪我をさせるようなことはしない、ということを意味します。
  (アメリカの小学校の教室掲示)

 ・ この教室を(家庭、職場、町、国などに)おきかえてみてください。
 ・教室の中にいるお互い(個人)の自覚・責任課題は?
 ・教室の指導者、管理者、設置者、社会(行政全体)に及ぶ自覚・責任課題は?
 ・この教室の子どもたちをまもる行政セクションは行政全体に及んでいきます。
 

 私たち一人ひとりの権利ということ、人権ということが、ずしんと胸の中に収まりにくい風土が、日本にあるんではなかろうかと思って、今日もこのことを紹介したんです。これを日本流に読み替えたり、作り替えると、部落差別が入ってきたり、いろんなことが入ってきたりするように、それぞれに読み直したらいいわけです。「私は、この教室では、私自身が認められる権利を持っています。このことは、誰も私を黒人か白人か云々」というところを、同和地区出身か否かと読めばいいだけのことです。
 そして、「この教室」を人権施策課や人権教育課という言葉に置き換えてもいいと思うんです。課の皆さんが、その課で、どれほど楽しく仕事をなさってるのかどうなのか、うっとうしいなと思っている職員がいれば、あまり好ましくないわけですね。これの置き換えは、家庭でもいいでしょうし、町でも国でもいいと思います。そのように置き換えると、まさに、権利、人権ということがよく呑み込めると思って紹介をいたしました。
 そこで、この教室の中にいるお互い個人の自覚や責任の課題は、どうか。最近、自己責任という言葉がひょんなところから出て、問題になりましたが、権利とか義務とか人権には、自己責任が伴うと思いますね。あのような形で、自己責任を語られるのは、どうかと思いますけども。個人の自覚に返っていく課題、責任に返っていく課題、そこへ返していってはいけない課題もあると思いますね。この教室の指導者、あるいは、管理者、社会、行政全体に及ぶ、この子どもたちの人権を守るしくみ、制度といったものを行政課題として主にやるんだと思うんですね。だから、この教室の子どもたちを守る行政セクションというのは、行政全体に及んでいくんだと思います。

 そのような意味でこれを読みましたら、本文の3頁に、基本計画の性格という頁がありまして、小見出しが続いているわけですが、基本計画の性格は、冒頭に言ったように、今後の奈良県行政をきっちりと導いていくものだと思います。その次の基本的な姿勢ですが、「県の全部局が豊かな人権文化の創造を目指し、福祉、健康、安全、安心、環境等」と、具体的な例示をしながら、それを基本的な姿勢の一番に書かれているということは、人権というものが非常に具体的に認識されつつあることだなと思って歓迎をしております。読み手の方やこの基本計画に直接関係のある皆さんにとっては、こうした具体的な例示をさらに広げていって、「私に何ができるかな」、「私のところでしないといけないことは何なのかな」いうふうな引き寄せをもっていっていただきますと、基本計画というのは、ますます活きていくことになるんじゃなかろうかな、このように思って読ませていただきました。
 部署によって、「うちには関係ないわ」とか、「うちには直接関係ないわ」と言われるんですね。間接に関係があることを認めていると思うんですけれども、何か、人権施策と距離を置くようなものが市町村役場も含めて、いっぱいあるように思います。それは、日本の行政の歴史の中にあったものがそうさせてるんだろうと思いますけれども。行政全体のパワーがもっと活きれば、すてきになるのになと思うのです。

 佐世保の小学校の事件がありました。例えば、このような事件がありますと、少年の人権ということで、匿名ですし、いろんなことが非公開とされてるわけですね。新聞によりますと、警察では、取り調べの中でその真相の究明をしていると報道されています。今まで、何百件、何千件の少年事犯が警察の捜査や取り調べの中で、真相が究明されてきたはずだと思いますが、そうしたことが、社会全体あるいは行政全体の共有財産となって、少年少女の健全な育成や楽しい生活の実現のために、どのように役立っているのかということになりますと、縦割り行政なのか部分行政なのか、あるところでは、確かに作業をなさって記録もあるだけのことに終わってしまい、そのことが、総合的なパワーになって、住民の福祉や幸せに還元されていかないということがあります。
 だから、佐世保であった事件についても、今、司法や検察、警察などいろんなところで、いろんなことがなされているんでしょうが、それが、教育や福祉、あるいは、行政全体を通して、どのように教訓化されて、社会づくりのために返されていくのか。人権として機能していく、そうしたシステムというのは、いくつもの関係部署の共同作業を経て、共有財産にしていく、そのような中で、実現していくんだろうと思うんですね。そういう意味では、縦割り行政が持っている弊害というのは、今言った例の中に顕著なのではないだろうかとこんな思いもします。

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人権尊重の視点に立った行政の推進

 レジュメの下の方には、人権尊重の視点に立った行政の方向と課題を1から6まで書いています。書き終わって、県庁の各部屋の雰囲気が好ましいこともその条件の一つだと思い、番外をこしらえたわけです。「お役人かたぎ」とか「お役所かたぎ」という言葉がありますが、良い意味で言われる時と、非常に皮肉をこめてマイナスのイメージを込めて言われる場合とがありますね。昔は、お役所のことをお上なんて言ってた時代もありましたからね。

 人権尊重の視点に立った行政の方向と課題
(1)「分野別人権施策の推進」が行政の柱に位置づけられていること。
(2)自立支援(就学・就労・生活等)を必要としている人たちに役立つものであること。
(3)差別撤廃に向けた教育・啓発の推進[学習活動(内容・方法)・雰囲気づくり(環境・条件整備)]を効果的に進めるものであること。
(4)被害者の救済を可能なものとしていくものであること。
(5)住民相互の豊かな関係の構築をはかるための取組(町づくり)を行うこと。
(6)日本国憲法を始め、日本が締結した国際人権諸条約を日常生活の中で具現化していくこと。

番外 各室の雰囲気が好ましいこと。 (お役人・お役所気質、民間のサービス)
 

 私たちが、いろんな仕事で役場や役所を訪問しましても、とっても入っていきやすい雰囲気の役所とそうでない役所があります。「こんちは」と入っていったら、カウンターの向こうの人が、一斉にじいっと来客者の私を見るわけですね。「いらっしゃい」とか「こんにちは」とかいった言葉は、まず返ってきませんね。「何しに来たんや」、「誰が来たんや」というふうな目にしか、-私の主観かもわかりませんけど-映らない。あんまり、良い雰囲気ではありませんね。近所の榛原のオークワへ買い物に行きますけども、商品を並べている店員の皆さんは、接客という業務についていなくても、「いらっしゃい」、「ありがとうございます」とか、マニュアルどおり言っているんでしょうけども、何となく好ましい雰囲気を創っています。
 だから、県庁の各課も、県民に入ってもらって、どの課が入って雰囲気が良いか、悪いかを測定してもらったら、県民目線の勤務評定ができるのではないかなと思います。席の配置一つから、いろんな工夫が凝らされて、もっと向上するかもわかりません。これは、アイデアと気持ちの問題ですけども、環境という意味でも、そういうことが言えますし、明るさということでも言えると思います。節電も大事ですけれども、節電を大事にし過ぎていくと、開かれた落ち着きの空間や環境が失われていくかもわかりません。そんなことも、人権行政の中で気にしていったら良いことだと思います。

 言いたいのは、もっと違うことで、近鉄に県庁は負けているなと思うんですね。どこで負けているかと言うと、駅へ行くと近年、近鉄の乗り換えがある駅では、ほとんどハングルや英語やいろんなバイリンガルというのでしょうか、そういう表示が完全に定着・徹底をしました。必要とする人は、ごく限られた、ごく一部の人であっても、あの表示というのは、時代がこのようになっているんだというふうなことを認知させていく、啓発していく、そういう仕組みになっていると思います。
私は、榛原病院へずっと毎月、20年間通っていますが、ときどき外国の方や文字を読めない方がおろおろしている場面に出会います。榛原町も人権教育のための国連10年の行動計画を持っている町ですし、もう少し、病院の案内やいろんな中で、工夫を凝らすとよくなるのになと思います。まだまだ改善の余地がありますね。
 県庁の中で、そうした人権の時代を県民にそれとなく示して、「うん、みんなこのような時代に向かって歩いてるんや」というふうな雰囲気を持たせる。用度課っていうような任務の人が、県庁にいらっしゃるのかわかりませんけれども、人権教育のための国連10年で、用度課のみなさんも大いに力が発揮できるはずだったのに、10年間県庁は、あまり内部のそういう細かなたたずまいは、変わらなかったというようなこともあると思います。
 それは、冒頭に言ったように人権というようなことが、抽象的にしか届いていない。アメリカの小学校のように届いていたら、もっと、変わっていったのになというふうに思うわけです。
 番外の所から言いましたら、1から6は釈迦に説法ですので、いろいろ膨らましてもらったら良いと思います。

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     人権をキャッチする

 計画には、分野別人権施策ということで、人権教育のための国連10年が提起したものにさらに加えて、新たな人権課題も含めながら例示がありました。そうした柱に大なり小なり応えていくようなことがこれから見えて欲しいということと、自立支援という言葉が書かれているんですが、これについては、少しだけ物足りないような思いで読んで、私も反省してるんです。20頁に自立への支援の充実ということで書いてあるんです。文章は、後でお読みになったらいいと思いますが、私が知事さんに手紙を書いた中でいろいろ答えて下さったことというのは、生活が困窮な家庭で、向学心に燃えていた子どもたちやいろんな抑圧を持っていた子どもたちの自立支援の政策として、大きな役割を果たしてきてくれたに違いないと思いますね。だから、相談とかサービスを超えて、もっとここで書いてますように、就学や就労や生活等にダイレクトに結びついて、自立支援を必要としている人たちがいらっしゃるわけですから、そういう人たちに響く、届く政策がだんだんと膨らんでいった方がいいと思います。
 世の中、だんだんそうなってますね。今年の5月28日に障害者基本法が改正されました。思っていたよりは、踏み込みませんでしたが、障害者差別禁止法というふうにも読みとることができるような中身が、盛り込まれた改正でしたね。人権教育のための国連10年で障害者基本法になって、しかし、差別禁止的な事項がないことが、国際社会からいろいろ注文を受けてましたし、国内の人権団体からも指摘を受けていました。今般の改正で、あのように禁止法的なものを盛り込んだものになっていった。法律はできましたので、それから何年か遅れて世の中が、それに従っていくんでしょうから希望が持てます。
 そうした流れ、国際社会の人権への流れやいろんなものが流れているわけですけども、それをしっかりと組み留めた施策、何回も話をしており、またかになるかわかりませんが、菟田野町で何年か前に入学式で、お父さんとお母さんが、ろうあの方や聴覚障害の方と一緒に、晴れ着を着て入学式場へ来られているんですが、言葉が全然わからないわけですね。後で気がついて、「しまった」と思いましたが、PTAも気がつかない。校長さんも教育委員会も気がつかない。「入学式というのは、去年どおりのことをやっとけばええわ」と挙行されたわけですが、今年は、新しいPTA会員で、全く聴覚を失った人が、お座りになっているにもかかわらず、そういうことを平気でやってしまった。家に帰ってチャンネルをつけたら、手話の天気予報をやっていたり、手話のニュースをしている時代に入っているんです。けれども、そうしたものを関係者がキャッチしていないということですね。人権をキャッチしていないということがあります。
 だから、理屈でキャッチするのではなく、何というんですかね、響きあってキャッチする。同和教育では、「差別の現実から深く学ぶ」なんて格好の良い言葉があるわけですが、そんなことしてもらったらと思います。

 先ほども、ハンセン病のことを説明なさってましたけれども、あそこのホテル、過料2万円で済んでしまいましたね。そして、さっさと廃業なさった。従業員もかわいそうやなと思います。どんな行き違いがあったのかわかりませんが。
 私は、菟田野町の岩崎という同和地区で生きているんですが、共同墓地へ行きましたら、昭和40年に建てられた墓石で、「お安の墓」という墓があります。一昨日もお参りしたんですが、なんか自然石のような、堀りぞこないの地蔵さんのような形になっている。「お安の墓」って何のことか長い間わからなかったんです。身内もいないのかどうか、無縁仏が集まったところに建てられているんです。いろいろ歴史を探っていったら、すごいことに出会いました。お百姓さんの家に穀物を入れて担っていく「ふご」というものがありましたね。お安さんというらい患者であった女性が、当時まだ、20~30代だったと聞きますけれども、「ふご」に入れられて、悲しくシクシク泣きながら、当時は、宇太町の役場の職員に担がれて、強制収容されていった。それを、近所の娘さんたちが見送っているわけです。その娘さんたちというのは、今、もう80歳を超えているおばちゃん達なんですけれども、洗濯をしてあげたり、食事を届けたり、日常的なお世話をずっと親身になってしてあげていた村の女性達だったんです。「かわいそうにな、連れていかれて」というわけですね。らい予防法が1996年にようやく廃止になったというような、そういう理屈なんかでなく、もっと素敵な次元で生きているおばさん達ですね。その人達が、40何年に愛生園で、「お安さんが死んだらしいで」という風のたよりを聞いて、「なあ、気の毒に」、「じゃあ、お墓行った時にちょっと参れるように、お安さんの墓を作ろうか」ということで、7人くらいの人が所帯をやりくりして、カンパをして、そんなにりっぱな墓石でなかったけども、らいで強制収容されて死んでいった、かつて世話をしていた女性の墓石を作って、今もその人たちは、自分の身内のお参りに行った時に、そこへお茶をあげ、花を飾り、線香を手向けていらっしゃるわけです。とても、素敵なんですけども、欲を言ったら、若夫婦や孫たちがそのことをどのように呑み込んでいくのか、受け止めていくのか、そこのところが、教育力として欠けている。「惜しいなあ」、「宝が腐っていくなあ」と思いながら、なんとか巻き返しを図ろうと思って、今、地域で躍起になっているんです。
 共生というのは、そういうことだと思いますね。そういう次元、そういう感覚の中で、自立支援を必要としている人たちの姿を捉えるということ、あるいは、そういうことで安全の保障を捉えるということだと思います。

 どの町へ行っても、子ども110番の旗があります。予算を使い、あれを作るにはいろんな会議も開いているんでしょうけども、その会議がどのように機能してるのかなと思いますね。
 この話は奈良県の隣保館と違うので残念なんですけど、近畿地方のある隣保館で、子どもたちがその前を通って学校へ行くんです。途中で急な夕立があると、隣保館の職員さんに「お姉ちゃん、傘貸して」と飛び込んで行くっていうんですよ。それ聞いて、「勇気のある子どもたちやな」って思ったんです。奈良県の子どもたちは、そのような公の建物へ「傘貸して」って飛び込んで行くかなあっていったら、なかなか飛び込んでいかないと思います。その館長さんは、意図的に子どもたちの登校の時間にあわせて、隣保館の前にある掲示物の貼り直しとか、草引きとか、そういうことを職員に呼びかけていらっしゃるようです。そして「おはよう」、「今日も、元気でな。行っといで」てな言葉をかけようと毎日のようになさっている隣保館だと聞きました。
その中で、子どもたちの方から今度は「おはよう」、「草引きですか」という声があったりして、「頑張ってるんやで」と応じる、そういう関係ができてきている。その延長の中で、雨の時に「おっちゃん、傘貸して」って飛び込んでいく関係ができているわけですね。
 そうしたものを誰が呼びかけて作るのか、どういう仕掛けで作るのか、ということなんかにも、関係行政部署の中でアイデアが発揮できるところがあるかもわかりません。
 大阪府の人権擁護委員さんの活動を調査をさせてもらったり、聞き取りをさせてもらった時に聞いたんですけども。レジュメの一番下の方に書いてます、「児童虐待をなくす市民会議」、会はいかめしいですけれども、子どもたちの暮らしを守る会議なんです。これは、市役所の教育委員会や福祉課の皆さんのボランティア、それから民生児童委員さん、教育委員さん、人権擁護委員さん、PTA、そして、市民レベルのボランティア、そのような人たちのテーブルみたいなものが、ちゃんと行政でセッティングをされて、そこで意見の交換や気づきなどが、2ヶ月に1回ぐらいされて、広報誌が出されている。その辺のお世話を市役所の方が、なさっているわけです。
 奈良県で人権擁護委員さんと民生児童委員さんが、どのようにドッキングして、いろいろ活動をされているんだろうと思ったことがあります。「民生児童委員は、県庁に関係ないし、人権擁護委員は法務省のことだし」ということを言ってしまわないで、誰かが呼びかけて、そうした場を作るっていうこと。そんなものが、たくさん世の中を埋め尽くしていくことが、人権文化が豊かになることなんだろうと思います。また、NPOをどれほど支えることができるのかどうなのかといった、いろいろな問題や課題が多いと思いますが、きっとできるサービス、できるお世話役ということがあるだろうと思いますので、そんな意味で書きました。

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    人権が尊重されていく環境づくり

 救急隊員が要請したマップというのが、おもしろいんですけども、ある総務課長さんに「人権教育の10年の計画を作りや」と言ったら、「そんなもん、わし関係あるか」と言い返されて。「えらいこと、言わはりますなあ」言うたら、「こんなもの、同和対策室か教育委員会が作ったらいいんや」、「運動さんがやかましい言うてんねんから」というふうな出会いがありました。
 そこで、「人権は」って理屈で言ったら喧嘩になると思ったので、「関係ないことも、おまへんで」という話をしました。「火事の時、サイレン鳴ります」と言ったら「自治省の予算は、俺とこにくるねんから。そら、サイレンはどこかて鳴るわ。奈良県じゅう鳴らしてるわ」、さらに「せやけど、町に火事のサイレン聞こえへん、おっちゃんやおばちゃんがいやはりますやんか」と言ったら「どこの町、行ったっておるわ」。いらっしゃるんです聴覚障害の方は。「でも、そんな方にサイレンを別の仕掛けで、届けるという仕組みを工夫してみても、いいですね。自治会へ協力願ったり、いろんな人に世話になるかもわからへんけども、そんなことをやってみたら。それを総務課長さんが起案なさると、人権教育の10年の行動計画になっていきますやんか」。「そんなことか」、「そんなことですよ」ってことで取り組まれたのですが、その中で、みんなの世話にならんと、伝わらないっていうこともよくわかりました。
 その方がある時、「あの時は、失礼しました」と言ったら、「いや、お前に会うのを待っとったんや」、「広域消防で救急隊やってんねけども、隊員から、ひょこっと聞くんや」といろんなことを聞くようですね。例えば、119番があって、緊急出動で駆けつける。行くと障害の人が待ってる。対応もさまざまで、隊員の中には、「なんやあ、歩けへんのか」と思ってしまう隊員がいたり、「目が見えへんやんけ」と思ってしまう隊員がいたり、そこで、隊員の人がどのように障害を持った人と出会えるかという、そういう学習や出会いも大事なんですけども、せっかく駆けつけたけれども、あわてる。心の準備が出来ていない。「今から駆けつける家で、私を待っているのは、目の見えない人なんや、足腰が立たない人なんや」ということが予めわかっていたら、その心づもりで救急隊の活動を開始することができる。「そんなことがわかるような印を家の地図に、作ったらあかんのやろか」、「プライバシーとかで、あかんかわからんで」という話があったみたいで、そういう声が隊員さんから、あがってたようです。
 「守秘義務をお互い持っているわけですし、住民福祉のためにやるわけですし、そのことを別にどこかに横流しするわけでもないんやから、きちっと管理をして、趣旨がはっきりとしていたらいいんやないですか」と言ったら、「ああ、そうか、それを聞いたら、そのような地図を作ってみようかな」ということを言っていました。やっぱり、現実に出会いながら、仕組みや制度の中で充実していくということが、そういうところに見える話だと思って、レジュメにこの救急隊員のマップを入れました。

 あなたの国の言葉で医療相談を行いますというのは、大津市民病院の有志の先生と滋賀県の甲賀郡の開業医の有志の先生、あそこもニューカマーの外国の人たちが多いようですけども、ミニコミ誌とか、いろんなマスコミ等を通しながら何ヶ月に1回か「あなたの国の言葉で、医療相談に応じます」と、無料でそういう活動をなさっているようです。そのような場の提供、建物の提供を公、公共施設を無料で使ってもらったり便宜をはかっているようですし、そうした広報や呼びかけの協力も行政の中で肩代わりをなさっているようです。大変、喜ばれているようですね。それは、直接的に相談を必要とする外国の人に喜ばれると同時に、その人を雇用している事業所やいろんな所へもそうしたことが、人権感覚を研ぎ澄ましていくとか、豊かにしていくとか、そういう意味で役立っている。啓発の効果が出ているわけです。

 教育・啓発ということでは、「人権教育課と人権施策課が教育・啓発の全責任だ」ということは全くないと思います。主な責任は、持っていると思いますけれども、それは、全部署の人がお持ちになっている。学校で言えば、人権教育の内容の創造をしたり、学習の方法等については人権教育課が直裁的にする仕事でしょうけども、環境の整備、人権が尊重されていく環境づくり、条件整備ということになると人権教育課だけじゃない、いろんなところでの仕事だと思いますね。

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    共生の世界が広がる

 70年代に私は、菟田野町立中学校で教員をしておりまして、就学猶予免除だったA君という子どもに出会いました。その子どもを宇太小学校に復帰させ、菟田野中学校で受け止めるということをお願いし、教室の開設の認知を県の教育委員会にいただき、増員配置をしてもらった思い出があります。お姉さんが中学生で、ものすごく顔色が暗い。どんな悩みがあるのかということで担任の方が、気になっていろいろと聞いていると、あまりいい表現じゃないですが、家で「座敷牢」のようなところで閉じこめられている弟がいる。小学校の1、2年生ぐらいまでは、東大寺の整肢園へ行っており、その時分に、歩けるようにということで手術をなさったが、その手術がよくない結果の方へ出て、だんだん神経が侵されて、立てない、起きられない、寝返りが出来ない。おしっこもうんこも自分で出来ない。手も上がらない。そういう子どもになってしまった。その子がいることが、お姉さんの気持ちを暗くしていたというわけです。
 私たちは、ちょうど同和教育にみんな燃えていた時期でして、明日香の養護学校へ行ったら、「お父さんか、お母さんが一日中付き添ってくれはったら、入学を許可しないでもないですが」という話でした。当時、送迎バスは、奈良県中カバーしてませんでした。今は、明日香の養護学校や二階堂の養護学校のバスは菟田野町も走ってますけど、当時は、菟田野町なんか走ってませんでした。両親が後ろで背広を引っぱって、「先生、帰ろう。帰ろう」、「もう、先生の気持ちだけうれしいわ。帰ろう」と言うんです。「両親が付き添いで、一日おったら預かるって言ったって、そんなんしたらうちは、食い上げで、干上がってしまうわ。おおきに、もう帰ろう、帰ろう」。帰ってから気がついて、「あほやなあ。なんでうちの学校で預かろうって、はじめから思わへんかったんやろ」ということで、職員みんなが反省するわけです。それで、菟田野中学校に肢体不自由児の養護学級的なものを開設する。トイレの改修とか、いろんな付帯工事が必要となり、県へも要請し、そういう署名もみんなにしていきました。PTAの中には、露骨に「人質とられてるから、反対も出来へんし、署名するわ」って言う人もおられました。「もの好きやのう。同和教育やいうことで、そんな子どもに一生懸命になるんなら、もっと、うちらの子が、ばちっと高校に入学出来るように力入れよ」という人も結構おられました。でも、かなりの署名をいただきました。それで、その子が中学校へ入って来た。車椅子で、言葉もしゃべれない子どもが学校に登場した。そのことが、全校生徒を変えていき、教員を変え、町を変えていきましたね。すごい啓発になりました。それは、「一緒に行きましょう」とか「差別をなくしましょう」という呼びかけを媒介しない啓発でした。
 菟田野町の解放センターへ行ったら、エレベーターがついたので宝の持ち腐れになってしまい、今は使っていないスロープがあります。あのスロープというのは、その子どもがみんなと菟田野町で生きた証の記念碑みたいなスロープですね。

 そこで、思い出があるんですけれども、私が担任をさせてもらったんですけども、ろうそくの火を消して、言語を回復するような訓練を専門家に教えてもらって、取り組んでいました。「ふっ」と吹いて、5センチ離れたろうそくの火が消えた。風が消したんかもわかりませんけど、「やったあ」言ったら喜んでニコッと笑った。「明日、7センチやで」、それで7センチ挑戦。10センチ挑戦の頃にストライキをするんです。
 「だんだん、学校に慣れてきたら、気まま出てくるな」と思うのが、浅はかな教員のたどる道ですね。私も、そう思った。でも、「訓練せないかんし。説教しても聞いてくれへんし」と思っていました。障害児学級の他の友達が体育の授業に行って、留守に私と二人きりの時のろうそくは、ちゃんとやってくれるんです。他の友達が、音楽の授業に出かけていって、留守の教室で私と二人きりの練習の時だけストライキをしているという、その法則を発見するわけですね。「ああ、音楽行きたいんや」と気がついたんです。音楽の先生にこう言ったら、ケラケラと笑われるんですね。「あの子、指が動くんですか。笛吹かれへん。言葉しゃべれるんですか。歌も歌われへん。評価のしようがないやないですか」と言うんです。「せやけど、先生、行きたがってんねん」、「辛抱させなさい」。そういう世界でした。でも、まあ押し問答して行ったんですけれども、行ったってお客さんです。教室の一番後ろに二人きりの席を作ってもらって、そこで、じっと座ってるだけ。でも、彼はそれで満足やった。体育館は行ったことがあるし、体育の授業は窓から外に見えるし、でも、音楽室や理科室は行ったことがない。どんなとこなんやろ。これぐらいの動機でしょうね。
 音楽の授業を受けていましたが、退屈です。二人で「てんご」したり、「退屈やのう」、「うん」耳は、聞こえますからね。「誰が、本気で歌っているか、口だけ動かしているか、見てみようか」なんて言ってたら、「後ろ、さわがしい」ってよく怒られました。
 ある時、社会科の地図を吊るようなスタンドが、僕とA君の机の間に立っているんです。音楽の先生は、「誰ですか。1時間前には、なかったですよ。それは、社会科の備品でしょ。誰が持ってきたんですか」とヒステリックに説教していました。すると、ある子が「俺らや」と言うんです。私も、びっくりしました。「何でやろな」思った。「今週からは、器楽合奏になるねん。A君が、後ろで寺澤先生と座っているけど、俺ら、たまらんねん。あいつに、伸縮性の包帯で指にまっさらの鉛筆をくくりつけたって、トライアングルかなんか、あの三角のやつを釣り糸で地図のスタンドにぶらんとぶらさげてたって、太鼓にあわして叩いたら、参加できるやんけ。コンクールに出るわけでもないんやから、間違ったってかまへんやんか。それで、俺ら持ってきたんや」と5、6人の子どもたちが、釣り糸を持ってきた子がおるし、楽器を用意した子がおるし…、後ろで、思わず泣けましたね。私たちが、それで目を覚ますわけですね。音楽の先生も、それで目を覚ますわけです。差別の現実から学ぶとか、共生の世界が広がるということは、そういうことなんですね。人権というのは、理屈やなしにそんな中で鍛えてきた方がいいと思いますね。

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   公務員の果たせる役割と果たせる任務の重さ

 最後に、もう一つ私の恥ずかしい話をして終わりますけども、その子と一緒の時に、入学してくるまでは、私のクラスは給食センターの皆さんからは、表彰してもらえるようなクラスでした。「先生の教室だけや。おかずをペロッと舐めたように食べてくれて。きれいに食べてくれてうれしいわ」そういう言葉をいただいていました。いい気になっていました。その子が、入学してきて半年くらいしてはっと気が付いたら、半分以上食べ残し。センターの皆さんも、「今年は先生の教室、食べてくれへんねん。何あったんやろ」。こういう時には説教ですね。「お前ら、しっかり食べんか。明日、残すな」、「は~い」。でも、残します。つまり、みずばな、よだれ、おしっこの世話、今までになかった類型の子どもが教室に同席をした。「ばばちい」、「なかなか食欲が進まん」、そういうことなんですね。
 だから、この重い障害の子が風邪で休んだ日なんかは、火の玉のように説教ですね。「あいつが、嫌がるやないか。そんなんしたら、思ったらいかんやないか。明日から、食べよう。なあ、絶対食べるんやで」と言うたら「はい」、「約束やで」指切りまでしたけど、誰が食べるもんですか。途中で、もう根負けして「あかんわ、もう言ってもあかんわ」とあきらめとったんです。
 それが、ある事件があってから、ペロッとまた食べるんですね。出張から帰って教室に飛び込んだら、みずばなとよだれがジャージにまで流れてる。「あっ、拭いてあげんとあかんわ」と思って、習慣で後ろに手をやると、タオルが腰にぶら下がってない。A君専用のタオルを私は腰に持っとった。「しもたあ。出張から帰って職員室へ置いてきた。まあええわ。ハンカチで拭いたろ」とポケットを探すと、ハンカチもない。ティッシュで拭こうにも、ティッシュも入ってない。「おい、誰かティッシュ貸してくれ」と言ったんです。自信があったんです。「先生、僕の使うて」と誰かが絶対言うはずやったんです。もう100%自信があった。「僕の使って」、「いや、僕の」と言うてくれるはずが、誰も貸してくれない。一人の子どもが、「先生、何に使うの」、「わかってるやないか。決まってるやないか」とこっちは急いでますから。「みずばなとよだれが入ってしまうんや。早う貸してくれ。えらいこっちゃねん」と言ったら、みんな平気な顔をして、「おかあちゃんが付いて来はった時には、エプロンで拭いてあげたり、舐めたりしてはるし」と言うんですよ。
 これは、すごい言葉ですね。「うるさい」って言い返せませんでしたね。そのとおりだから。私も見てるんだから。とっさに、僕のどこかでスイッチが入って、「そうやなあ」言って、汗かきながら、100%よう舐めんかったけど、首にべろをひっ付けた。残りは手のひらで拭いてあげて、ポケットの中でゴソゴソしました。後で、子どもらには、「けちやなあ」とだけ言ったんですけれども。
 2、3日して気が付いたら、給食をペロッと食べてるんですね。「先生、あんなこと言うけど、先生かて心の中で、あの子どう思ってんのよ」ということが私たちに向けられていたんだな。「えらい仕事をしてるねんな」と思ったことがありました。でも、PTAの皆さんや子どもたちから、そういう目を注がれて、その中で鍛えられて、目覚めて、ひとつの教育実践をやっていた時代っていうのは、とてもよかったと思いますね。観念や理屈になっていったら、へたってしまって、私の在籍した学校にそのような面影が今、あるんかないんか…。
 行動計画にもありましたし、この基本計画にもあるわけですけども、企業とか、家庭教育と並んで、公務員、特定な職業に就いているものが、このことに関わって果たせる役割と果たせる任務の重さみたいなことが書かれています。字づらを読んだら、当たり前のことがずっと書いてるわけですけれども、そのところどころに、自分の周辺にいる本当に被差別の立場で生きている人たちの姿や思いや自立支援を必要としている人たちやいろんな人たちへの思いを重ねながら、この行動計画を読んでいくとアイデアがわいてくる。そう思いますし、そういう意味では、財政難だけど、国の人権施策に関わる私の守備範囲のところの予算というのは、どんな種類のどんな助成の制度とか、どんなものが現行制度であるんやろ。そんなことを調べてみて、そうしたものを上手に取り寄せて、今まで奈良県になかった一つの事業や施策をちょっとどこかの町で、展開していくように市町村行政に助言ができる。そういうような立場にみなさんがなっていただくと、市町村からみても、ありがたいことだろうと思います。

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   おわりに

 最後に、とても意味のある基本計画ができた。冒頭に言いましたけど、これは決意であり、約束である限り、これを頼り、これを期待する県民がいらっしゃる。そういう人に、全ての部署が応えていく。そのためには、今までの概念を破って欲しい。警察や教育委員会、一般行政をも含めた、総合的なパワーとなって人権が推進されるような、そういう新たな仕組み、その仕組みが、実は、10年を引き継いで出来た奈良県人権施策推進本部なんだろう。このように思いますので、そうしたものを期待して、私の提起は終わりたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

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