優良賞10

 真のかっこよさ

                              生駒市立鹿ノ台中学校 3年 宮部 祐希

 私はずっと「かっこいい」人でいたいと思っていた。皆の憧れとなるような、羨しがられるような、そんな人を目指していたのだ。そのために、表面を塗りかため、偽りの自分を演じ続けていたのかもしれない。そのことが正しいのか正しくないのか、良いか悪いかははっきり言えないものの、私はこの数年間で、一応一つの答えを導き出したのである。
 かっこいい人であるため、私は主に二つの目標を立てた。一つ目は「見栄を張る」ということだ。やはり、自分を大きく見せるためには、行動だけでなく、言葉などによってもそのような印象を持ってもらうことも大切だと思った。何より、自分が満たされていくような気がしていた。しかしそれでは、自分の良くない部分を言葉によって補っているにすぎなかった。嘘に嘘を重ねることで「なんでもできる」というレッテルが、自分を圧迫していった。また、周囲からの目が少しずつ変わることにより、無駄にプライドだけが高くなった。それによって生じてくる、さらに上を求める気持ちと、それを追いつめるようなプレッシャーが、毎日を窮屈なものにしていったのである。
 二つ目は「自分をもつ」ということだ。周りに左右されず、きちんと自分の主張ができる人は、しっかりとこだわりをもったり、自分のイメージを強調したりできると思った。また、それが一番かっこいいとも思っていた。しかし、実際はうまくいかず、あまりにも人の意見を聞かないで、自分のことを考えすぎたり、本質の内容よりも意地を張ることを重視しすぎたために、本来の目的である「かっこよさ」を見失っていた。私は、自分の意見をもつことと、頑固に自分を貫くこととの捉え方を、完全に間違えていたのだ。結果自己中心的なききわけが悪い人になってしまっていたのである。このようにして、自分の意思とは異なり、自分の求める「かっこよさ」は遠ざかっていた。そんな時、私をはっと目覚めさせるような出来事が起こったのだ。
 ある時、私はいつものように意地を張りとおし、友達と口喧嘩をしていた。どちらも全く譲らず、ただ平行線を辿っている。そこへ先生が仲介に入ってきた。先生が様々な言葉で二人を説得したり、意見を整理したりして、なんとかまとめてくれたおかげで、その場は収まった。その時、私にこう言ったのだ。
「大切なのは、どちらが正しいかだけじゃないよ。」
今まで信じていたこととまるで違い、すぐにこの言葉がどういう意味かは分からなかった。今も決して定かではないけれど、自分の悪い部分をちゃんと認め、自ら折れて謝る姿勢・勇気の大切さを教えてもらったのだと、自分では思っている。さらに、相手の意見も理解して、考慮することの大切さも感じた。そのような、正しいものをきちんと見極め、それを認め、謙虚な姿勢で構えられる人は、本当にかっこいい。また、仲介に入ってその場を収めた先生のように、そっと冷静な助言ができるような、余裕をもった人の「かっこよさ」にも気がついた。私は「真のかっこよさ」を知ったのだ。
 私は、そのような「かっこつけないかっこよさ」という新しい答えを見つけた。今はそれを目指しているつもりである。実行できているかはまだ分からないし、失敗も多いけれど、目指す場所に間違いはないはずだ。また、人に慕われるためには、自分も人を慕うことが必要になる。それを当然だと思うような人でありたい。
 だれかに憧れてもらいたいとか、羨しがられたいとか、そういうことが問題なのではない。それは求めるものではなく、後でついてくるもの。そんな意識を胸に「真のかっこよさ」をいつかたぐりよせたい。