優秀賞1

「のどか」を見つける

智辯学園奈良カレッジ中学部 3年 松下 佳央

 現代人の時間の流れ方というものは、一体どうなっているのでしょうか。朝は決まった時間に目覚まし時計に起こされて、着替え、歯を磨いて、会社や学校に行く。部活動や残業や飲み会やで遅くまで頑張った後、ようやく帰路につき、お風呂に入って、そして眠る。こなさなければならない毎日のメニューはしっかり決まっていて、それを遂行し、時々新しいことにチャレンジしてみる。毎日、とても忙しい。せわしなくて、そこに他のものが入りこむ隙はありません。特に、「のどかさ」が入れる場所なんて、日常生活には存在しないのではないでしょうか。
 私も、そんな日常生活に追われる一人です。日々に欠けた「のどかさ」が欲しくて欲しくて、ある日ふと「老後は田舎に住んで農業をしよう!」と思い立ちました。若いうちに何をするかはまだ決めていないのに、年老いてからすることは決まっているなんておかしな話ですよね。それに、あの頃の私は、「のどか」はそれこそ農業のような日常とかけ離れた暮らしにしかないものだと思っていました。そして私は、それ程「のどかさ」を渇望していたのです。
 そんなある夏の日、私は早朝に目を覚ましました。辺りにはまだ夜の気配が残っていて、夏休み中とは思えないくらい冷たくて気持ちのいい空気でした。私はすることがなかったので、暇つぶしにと、近所に散歩に出掛けることにしました。――へぇ、こんなに早くから車は走ってるんだ。朝の空気は凜としていて素敵だな。こんな所に猫のたまり場があったなんて。朝って、人の気配がしない――人っ子一人いないんだなあ!
 色々な発見がありました。
さあ帰ろう。そういって足を家に向けた時、信号が変わったのでしょうか、遠くから聞こえていた車の音が止みました。その時吹いてきた風は、いつもの風とは何かが違っていました。そして私は、いつも求めてやまない「のどかさ」がそこに確かに存在することに気がついたのです。
 それからの夏休み、時々朝早くに起きて散歩をすることが、私の習慣になりました。何も考えずにぶらぶら歩き回ります。すると、空き地で見つけた知らない花から、猫がくつろぐ日なたから、ひっそりとたたずむカフェの手書きの看板から、たくさんの「のどか」が見つかりました。どうして今まで見落としていたのでしょう。それだけではありません。心の中にも「のどか」は存在しています。忘れてしまっていた幼い頃の思い出、セピア色の風景は「のどか」そのものです。
 「のどか」は、常に私たちの近くにいる。それに気づいたら、とても大切なことが見えてきました。現代の人々の時間の流れ方は、私が最初に書いたようなただせわしいだけのものではなくて、のどかな時間――一日がとても長かった、幼い頃の時の流れのようなもの――もどこかにあって、それが重要な役割を果たしているのです。「のどか」のない生活は、どこか息苦しい。時間に追われて追われて走り回って、ふと立ち止まったとき、そこにあるのは虚しさではないでしょうか。のどかをどこかに持っていることで、人は満たされた「人らしい」生活を送ることができる。私たちの中で「のどか」とは、愛や友情と同じく失ってはならないものなんだと思います。
 さあ、「のどか」を見つけに行きませんか。