優良賞2

離れたからこそ気付いたこと

五條市立五條中学校 1年 上原 なな

 みなさんは、テレビなどで、家族が楽しそうに暮らしている様子などを見た事があると思います。では逆に、一度でも家族が離れ離れになった時を考えた事がありますか。一緒にいると、ついケンカなどをして、家族の大切さに気付けていない事はないですか。
 私も、ささいな事にイラ立つ様になり、家族の大切さに気付けていませんでした。去年、あの体験をしていなければ、まだ気付けなかったかもしれません。
 私が、小学六年生の時に、急に父が今までやっていた仕事をやめることになりました。その数日後に福井にいる父方の祖父と祖母が家に来ました。内容は、父の次の仕事についてでした。祖父が出した仕事は、福島第一原発での仕事でした。福島第一原発は、今から4年前の二〇一一年三月十一日に、東日本大震災による地震と津波の影響により、放射性物質を放出しました。放射性物質は人体にも影響を与え、病院へ搬送された人もいました。父がそんな危険な場所で仕事をするなんて、絶対に嫌だと思いました。
 私は祖父に呼ばれ、「お父さんに頑張れって言いなさい。」と言われました。こんな状況で、とても言える言葉ではありませんでした。本当は、福島にも行ってほしくないし、頑張れなんて言いたくなかったのですが、「もう、決まった事なんだ。」と思い、小さな声で頑張れと言って、部屋へ行きました。父が福島へ行くのは、数日後だということでした。私は、父が福島へ行く日までの数日を、一日一日大切に過ごしました。
 そして、去年父は福島へ行きました。その日から、家は大きく変わりました。少し静かになりました。毎日の食事が、一人分減りました。使う食器も、一人分減りました。父の大きなTシャツや、ズボンも洗濯する事がなくなりました。
 父が福島へ行ってから、何日経っても父のいない環境に慣れませんでした。学校では、父が福島へ行った事は友達に話しませんでした。だから、友達が休みの日に家族でどこかへ遊びに行った事などを聞くと、とても羨ましいと思いました。父が福島へ行く前の日の夜、明日から父が家に帰ってこなくなるというのに、私は素っ気ないことしか言えませんでした。次の日、起きると父は福島へ行った後でした。その日、学校では普段と変わらず過ごしました。行ってらっしゃいぐらい言えばよかったと、少し後悔しながら。
 父がいなくなって、母は、家事や私や兄の送りむかえなど、全てやってくれています。だから、母は友達にご飯にさそわれても行った事がありません。私達の事を考えてくれているからです。だから私は、決して多くはないけれど、母の手伝いをするなど、母の力になる様な事をしました。母方の祖母も協力してくれました。そして、一つ良い事がありました。父が一週間だけ休みをもらえたのです。そのなかで私は、父が福島という慣れない環境の中、家族のために仕事を頑張ってくれている事などを知りました。父が遠く離れた場所で頑張っているのだから、私も家族のために頑張ろうと思いました。そして、その一週間が宝物になりました。
 みなさんにとっては、家族が一緒に食事をしたり、出かけたり、当たり前ですよね。そして、一緒にいると、つい家族にきつくあたる事もありますよね。私も、今まではそうでした。でも、少し考えてみて下さい。どれだけあなたの家族や、あなたの周りの人があなたのためを思っているかを。
 私はこの経験が無ければ、家族の大切さに気付けなかったかもしれません。
 みなさんも、少し考えて家族の大切さに気付いて下さい。