優良賞9

もしも世界が 

山添村立山添中学校 1年 椋本 陽向

 わたしは、少し前、「もしも世界が百人の村だったら」というとても悲しい話を知った。それは、福祉や政治のことを評価している、ある女性作家が書いた話だ。今の世界の状況を、そのまま百人の村に縮めてみたらどうなるだろうという、ある意味ノンフィクションの物語だ。その村ではなんと、百人いるなかで、八十%の人が、まったく文字が読めないらしい。それから、百人いるなかで、四十人が栄養不足。そして一人は死にそうなほどなのに、十五%は太りすぎだという。百人中二十人が、八十%のエネルギーを使い、あと残りの八十人が、たった二十%のエネルギーを分け合っている。わたしは、とても胸が苦しくなり、胸の中が熱くなった。わたしたちは、難民の人たちから見たら、まるで天国のような暮らしをしているのだろう。それなのに、わたしたちは、そんなことにも気づかずに、物を大事に扱わなかったり、食べ物を、まだ食べられるのに、残したりしてしまっているのだ。たとえ物をこわしたり、なくしたりしても、わたしたちはすぐ買ってもらえる。いや、それはわたしたちがゆうふくだからすぐ買ってもらえるのだ。難民の子どもたちは、一度物を失ったら、それが二度と手に入らないというのに。第一、今日、まともなご飯が手に入るか、今日、安全な所でねむれるか、今日、きれいな水が飲めるかすらもわからないのである。わたしたちは、物をそまつにしすぎである。きっとその人たちの暮らしを地ごくのような暮らしだと思うだろう。でも、わたしは、世界の国全部が平等で、平和のかべや、差をなくさなければいけないと思う。それなら、今、わたしたちにできることはなにか。一番簡単なやり方だと、募金だ。でも、募金だと、どんなことを思って募金してくれたのかがわからない。それなら難民の子どもたちや、貧しい地域の人のことを、なにかの作品におさめ、それを通じていろんな人に知ってもらうということもできるのだ。わたしの夢は、貧しく、おなかがいっぱいにならず、とてもひもじい思いをしている人を、医者になって助けに行くことだ。今わたしがこの作文を書いている瞬間にも、何千という人が亡くなっているかもしれないのだ。だから、少しでもはやく、立派な医者になるためにたくさん勉強をしなければならないと思う。
 最初のほうに話がさかのぼるのだが、あなたは、「もしも世界が百人の村だったら」という話の作者が、どんな思いでこの題名をつけ、何を伝えようとしたのか気づくだろうか。ここで注意してほしいのは、作者は、この世界を百人の村に縮めているということだ。けして、世界の人口が百人だったらということではない。つまり、「もしも世界が百人の村だったら」ということは、四十人が栄養不足で十五%が太りすぎなのに、その十五%の人が、栄養不足である四十人になにも手をさしのべていないということになる。村というのは、みんなで協力するものなのに、この村は一切協力ができていない状態なのだ。こんなのは、村ではない。いわば、外見だけだ。今の社会もそうだ。みんな協力しているように見えるが、実はちがう部分もある。もしかしたら、作者はそのことをわたしたちに伝えたかったのかもしれない。今の社会は完ぺきではないということに、気づいてほしかったのかもしれない。この話を知り、わたしの考えが良いほうへ一マス動いた。わたしたちは、これから年をかさねていくうちに、いろんな課題を解決していかなくてはならない。この話は、わたしたちが課題へ向かって進むための材料なのだ。本当に、この話を知ることができてよかった。