出会う 奈良県歴史文化資源データベース

竹内街道 たけのうちかいどう

記入年月日 2017/03/22

所在地
大阪府堺市~奈良県葛城市
区分
古道・古街道 | 古道・古街道など
指定内容

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
竹内街道は、大阪府堺市から東へ向かい、二上山の南麓・竹内峠を越えて長尾神社付近に至る約26kmの街道で、推古天皇21年に開通した飛鳥の都と難波を結ぶ、最古の官道です。この竹内街道は、奈良盆地を東西に横切る横大路につながっており、藤原京に都が移されてからも積極的に使われ、遣隋使の小野妹子や外国の使節団もこの道を通ったとされています。また、難波の港に着いた最新の文化や技術もこの道を通って飛鳥(シルクロードの終点地)へ運ばれ、「外交の道」として栄えました。聖徳太子信仰が盛んになるにつれて街道沿いにある聖徳太子御廟やそれを守る叡福寺が霊場となり、「信仰の道」としてもにぎわいを見せました。江戸時代には、お伊勢参り、大峰詣、當麻詣などが盛んになり、「宗教の道」として街道沿いには道標が建てられ、旅籠や茶店などが軒を連ねました。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
かつて、松尾芭蕉が訪れ、句を残し、司馬遼太郎は著書「街道をゆく」で、「古代のシルクロードともいうべき道」と語っている。地元竹内では「竹内自然を愛する会」があり、今もなお、竹内街道の歴史が伝えられているため。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
大阪と奈良を東西に結ぶ竹内街道は、日本書紀の推古天皇21年(613年)の条に、「難波(なにわ)より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」と記された「大道」のルートと重なることから、日本最古の官道と呼ばれています。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
推古天皇:第33代天皇。女性の天皇で、推古天皇21年(613年)の時に整備された「大道(だいどう)」が、竹内街道の起源となっています。太子町に推古天皇陵があります。
松尾芭蕉:江戸時代前期の俳人。門人の一人である千里(ちり)の郷里である竹内を幾度も訪れ、数点の俳句を残した。そのうちの一句「綿弓や 琵琶になぐさむ 竹のおく」の句碑として、綿弓塚が建てられました。
司馬遼太郎:作家。幼い頃に、母親の実家のある竹内集落の地をよく訪れていた。紀行シリーズ『街道をゆく』の竹内街道の項には、「竹内峠の山麓は故郷のようなもの」との記述があり、この集落に対する氏の想いの深さが表れています。
当資源と関連する文献史料
日本書紀
当資源と関連する伝承
竹内街道の始点であり終点でもある葛城市の長尾神社には、昔大和の地に住んでいた巨大な蛇の尾がここまで届いたという伝承があります。この神社の名前にもなっている大字の名前「長尾」は、この伝承から来ています。
問い合わせ先
葛城市 商工観光課
電話番号
0745-48-2811

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