出会う 奈良県歴史文化資源データベース

広峰神社 ひろみねじんじゃ

記入年月日 2017/03/22

広峰神社
所在地
奈良県生駒郡安堵町東安堵字垣添
区分
複合型 | 複数の歴史文化資源を包含する歴史文化資源
指定内容

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
広峰神社は太子道と業平道が交わる位置に鎮座します。この地はもともと、飽波神社の置かれたところ、という伝承がありました。飽波とよばれる地域にあり、素盞嗚命(すさのおのみこと)を祀っています。当社は、江戸時代を通じて「牛頭天王」(ごずてんのう)と呼ばれていました。「安堵社神験記」によれば、当初は聖徳太子が、父用明天皇が病気になった際に、その平癒と伽藍守護を祈願して勧請した場所とされています。寛弘3年(1006年)に恵心僧都により極楽寺が再興された際に、現在の飽波神社の位置へ正遷宮が行われたといいます。江戸時代まで境内に万福寺という宮寺があり、一字一石経を埋めた塚がありました。鳥居前にある井戸は「太子井戸」、「在原業平姿見の井戸」とも称されています。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
当地に聖徳太子にまつわる伝承が伝わっていることは貴重で今後も伝えていく必要があります。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
聖徳太子(太子道沿い、太子の行宮、飽波宮に関わる場所)、芦屋道満(陰陽師)との関わり
当資源と関連する文献史料
「安堵社神験記」(『安堵町史』史料編下巻に掲載)、[飽波神社神社明細帳]、富本家旧蔵文書(国学院高校所蔵)、『安堵村史』、『安堵町史』
当資源と関連する伝承
鳥居前にある井戸は「太子井戸」、「在原業平姿見の井戸」とも称されており、周辺が旱水になってもこの井戸水は枯れることがなかった、と伝わっています(『安堵村史』)。陰陽師 芦屋道満の住まいが北側にあったとの伝承があり、「ドウマン塚」があったと伝わっています。
問い合わせ先
安堵町歴史民俗資料館
電話番号
0743-57-5090

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見解・学説等の相違については、ご了承ください。