宗祐寺 そうゆうじ
記入年月日 2016/12/16
- 所在地
- 奈良県宇陀市榛原萩原2596
- 区分
- 複合型 | 複数の歴史文化資源を包含する歴史文化資源
- 指定内容
- 国指定重要文化財
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- 歴史文化資源の概要
- 良栄山多聞院宗祐寺は、融通念佛宗の古刹で、併行して走る国道165号線と近鉄大阪線の北側に位置します。かつてここは伊勢本街道と青山越えの道が交差する宿場町として栄えた土地でもあります。宇陀地区における融通念佛宗の中本山的存在であり、本尊は十一尊天得阿弥陀如来画像です。
創建は敏達天皇10年、聖徳太子が東夷降伏の功を成就したことによって、同年8月奏請勅許を得て、推古天皇16年(608年)当山を開き、毘沙門天像を勧請し、多聞院と号し僧恵仁に護持させたことからはじまるといいます。その後、天承(1131年)のころ、融通念仏の祖良忍が聖徳太子殺生戒の霊地を尋ねて当地に至り、融通念仏を勧進しました。永禄2年(1559年)に織田信長の家臣服部宗祐が入道して多聞院に住持し、信長が黄金を布施して堂宇を再建、宗祐寺と名を改めたと伝わります。
- 地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
- 聖徳太子ゆかりの古刹として長い歴史を伝える当寺は、宇陀地区における融通念佛宗信仰の中心的存在で、市外にも多くの檀信徒を有しています。また、盆踊りやお祭りなどの年中行事の際には、地域住民が集まり交流する憩いの場所としても大切にされています。
- 「記紀・万葉集」との関連とその概要
- 宗祐寺は『日本書紀』にその名が登場する墨坂神社の近くに位置します。宗祐寺の前身は天野社と言われていた墨坂神社の神宮寺、あるいは別当坊であった愛宕山不動堂寺である可能性が『宗祐寺史』の中で指摘されています。
- 当資源と関連する歴史上の人物とその概要
- 聖徳太子・・・縁起に深い関わりがあり、参道入口には「聖徳皇太子殺生戒御舊跡」と彫られた寺標石があります。
松尾芭蕉・・・本堂正面左手に「梅が香にのっと日が出る山路かな」という芭蕉句碑があり、江戸後期に萩原社という俳人グループが建てたと刻まれています。
織田信長・・・寺院再興に多大な布施をし、寺の名前も信長の家臣の服部宗祐に由来します。
- 当資源と関連する文献史料
- 「宗祐寺縁起」「大念佛寺蔵文書」「欣祐寺過去帳」など
- 当資源と関連する伝承
- 宗祐寺の開基については、聖徳太子が宇陀の地を訪れた際に殺生戒を説き、地蔵菩薩を祀る小堂を建てたのが始まりであるという説や、融通念佛宗元祖聖應大師良忍上人が天承元年(1131年)にこの地に毘沙門天を祀る多聞院を建立したのが始めとする説などがあります。
- 他地域の関連する歴史文化資源
- 念仏庵(榛原大貝)青龍寺(榛原玉立)長福寺(大宇陀小和田)東福寺(大宇陀宮奥)補陀寺(観音寺・菟田野下芳野)安楽寺(菟田野古市場)善正寺(室生大野)西光寺(室生)長楽寺(室生田口)地蔵寺(曽爾村伊賀見)高照寺(曽爾村掛)長性寺(曽爾村葛)明安寺(曽爾村塩井)欣祐寺(曽爾村長野)念佛寺(曾爾村山粕)長連寺(曽爾村小長尾)教楽寺(御杖村土屋原)観音寺(御杖村桃俣)阿弥陀寺(桜井市鹿路)白山寺(吉野町小名)高竜寺(吉野町滝畑)宗奉寺(名張市元町)
- 問い合わせ先
- 宗祐寺
- 電話番号
- 0745-82-0029
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