出会う 奈良県歴史文化資源データベース

雷丘東方遺跡 いかづちのおかとうほういせき

記入年月日 2017/03/22

小治田宮墨書土器(明日香村)
所在地
奈良県高市郡明日香村大字雷
区分
遺跡 | その他
指定内容

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
推古天皇は即位した豊浦宮から推古11年(603年)に小墾田宮(おはりだのみや)へ遷都を行いました。小墾田宮は南門から入ると左右に庁(朝堂)が並び、その北には大門があって天皇が座す大殿へ通じていた、と『日本書紀』に記されています。さらに天平神護元年(765年)まで断続的に史料に登場しており、長く維持された宮殿であったことがわかります。雷丘周辺の発掘調査で、小墾田宮については飛鳥時代の掘立柱建物や塀、さらに奈良時代から平安時代にかけての掘立柱建物や礎石建物などが確認されています。特に「小治田宮」「小治宮」と書かれた墨書土器が奈良時代の井戸内から出土したことから、雷丘周辺から石神遺跡の東方にかけて飛鳥時代の小墾田宮跡が存在していた可能性が高まっています。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
遣隋使である小野妹子に託した「日出処の天子…」で有名な国書を作成し、日本を東アジアにおける他国と対等な国(倭国)と位置づけ、外交を進めるなど、日本の原点となる重要な政治が行われた場所とされている点。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
『日本書紀』には、厩戸皇子(聖徳太子)が推古天皇とともに小墾田宮で憲法十七条や冠位十二階を制定し、隋の煬帝に国書を送り答礼使として裴世清が訪れるなど、その活躍が記されています。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
厩戸皇子(聖徳太子)(用明天皇と穴穂部間人皇女の間に生まれた皇子)、推古天皇(厩戸皇子の叔母)
当資源と関連する文献史料
『日本書紀』、『続日本紀』、『日本霊異記』、『隋書(倭國傳東夷傳)』
当資源と関連する伝承
『日本書紀』には、推古15年(607年)に第2回遣隋使として小野妹子が「日出る処の天子、書を没する処の天子に 致す 恙や」と記された国書を携えて派遣され、隋煬帝が激怒したという有名な話が伝えられています。この国書が作成されたのが小墾田宮であり、厩戸皇子(聖徳太子)が推古天皇とともに政務を執り行った宮としても知られています。
他地域の関連する歴史文化資源
横大路(奈良県橿原市・桜井市他)、海柘榴市(河港・奈良県桜井市)
問い合わせ先
明日香村 教育委員会 文化財課
電話番号
0744-54-5600

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