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飛鳥寺跡 あすかでらあと

記入年月日 2023/10/13

現在の飛鳥寺外観
銅造釈迦如来坐像(飛鳥大仏)
所在地
明日香村大字飛鳥682
区分
遺跡 | 社寺跡又は旧境内
指定内容
国指定史跡

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
 飛鳥寺跡は、大字飛鳥にあり、わが国最初の本格的な伽藍を備えた寺院でした。飛鳥寺とは、飛鳥真神原に建てられた「飛鳥の寺」のことですが、丈六仏光背銘には「元興寺」と記され、天武天皇 8 (679)年、諸寺の正式名称決定に際し、元興寺となりました。一方、「家伝」では法興寺とされ、『日本書紀』もこれに従っています。
 『日本書紀』によると、崇峻天皇元(588)年に百済王から仏舎利がもたらされ、蘇我馬子により法興寺即ち飛鳥寺の造営が始められました。寺は、飛鳥真神原にあった飛鳥衣縫造祖樹葉の家をこわして建てられ、崇峻天皇 3 (590)年に木材が山から伐り出され、同 5 (592)年に仏堂と回廊が造られました。推古天皇元(593)年正月 15 日、塔心礎に仏舎利を納める儀式が行われ、翌日心柱がたてられ、同 4 (596)年11 月に塔は完成したとあります。造営にあたって百済から寺工、鑪盤博士、瓦博士、画工などが渡来したとあり、百済文化の影響が窺えます。
 皇極天皇 3 (644)年には、飛鳥寺西の槻の木の下で中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏の打倒を計画し、翌年の大化の改新の舞台となったのも飛鳥寺でした。天智朝には入唐僧道昭が飛鳥寺に入り、東南院を設けて住まわれました。つづいて天武朝には大官大寺、川原寺、豊浦寺、坂田寺とともに五大寺に挙げられ、持統朝にも三大寺の一つに数えられて隆盛を誇りました。
 養老 2 (718)年、平城京の建設にともない、法興寺はその外京五条七坊の地に移されました。しかし、塔・金堂など主要建物は旧地に残り、以後平城京の元興寺に対して、本元興寺と呼ばれ、大和十五大寺の一つに数えられました。平安時代後期には中門・回廊・南門は倒壊したと推定され、最後に残った塔と中金堂も建久 7 (1196)年6 月に落雷を受けて焼失しました。以降荒廃し、本尊釈迦坐像は室町時代には雨ざらしになっていたといわれています。本尊を納める仮本堂が再興されたのは文政 9 (1826)年のことであり、これが現在の安居院です。
 安居院の本尊は丈六の銅造釈迦如来坐像(高さ 2.75m)で飛鳥大仏としてよく知られ、鞍作鳥(止利仏師)の作といわれている。鎌倉時代に落雷のため寺が焼失した際、この像も罹災し、創建当時のままであるのは顔面、左耳、右手中央三指などのみで、現在の姿は後世の補修による部分が大きいが、わが国の鋳造遺品としては最古のもので、国の重要文化財となっています。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
 わが国最初の本格的な伽藍を備えた寺院であり、堂内には最古の金銅仏である飛鳥大仏が安置されており、多くの来訪者に親しまれています。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
『日本書紀』においてその造営過程が克明に記されている稀有な寺院です。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
飛鳥寺は蘇我馬子が建立した寺院です。
当資源と関連する文献史料
『日本書紀』『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』
他地域の関連する歴史文化資源
 平城京への遷都の際、飛鳥寺も移転して元興寺となり、現在まで法灯を繋いでいます。また、飛鳥寺で導入された軒丸瓦はその後、全国の寺院造営に展開していきます。
問い合わせ先
明日香村教育委員会事務局文化財課
電話番号
0744-54-5600

掲載されております歴史文化資源の情報は、その歴史文化資源が地域にとって大切であると考えておられる市町村、所有者、地域の方々により作成いただいたものです。
見解・学説等の相違については、ご了承ください。