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達磨寺中興記石幢 だるまじちゅうこうきせきどう

記入年月日 2016/06/30

達磨寺中興記石幢
所在地
奈良県北葛城郡王寺町本町2丁目1番40号
区分
碑文・道標 | 記念碑
指定内容
国指定重要文化財

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
 大正12年(1923年)3月28日付けで重要文化財に指定されました。南禅寺の惟肖和尚が室町期の達磨寺中興の経過を記した「達磨寺中興記」(永享7年(1435年))を、達磨寺住持として中興に尽力した南峯祖能が文安5年(1448年)に高さ184cm、8角形の石幢に陰刻して建立したものです。平成12年(2000年)に石幢の地下から嘉吉2年(1442年)銘の石碑、備前焼大甕、青磁香炉が出土し、これらは平成14年(2002年)6月26日付けで附として重要文化財に追加指定されました。達磨寺中興記石幢は、南峯祖能の功績を顕彰する施設であると考えられます。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
 王寺町に4件ある国指定重要文化財のうちの1件で、達磨寺が室町時代に中興された経過が克明に記録されています。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
 『日本書紀』推古天皇21年(613年)12月条に、聖徳太子が飢人と出会い、助け、埋葬したところ、その飢人の遺体が消えてなくなったとされる飢人伝説があります。のちに飢人が達磨大師の化身とされて達磨寺が開基されました。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
 南峯祖能。達磨寺が鎌倉時代に興福寺等から焼討に遭い、室町時代に復興されたときの住持です。建仁寺・東福寺で要職を務めました。
当資源と関連する文献史料
 寛政3年(1791年)『大和名所図会』の達磨寺境内の挿絵に、達磨寺中興記石幢が描かれています。
問い合わせ先
王寺町 地域整備部 地域交流課 文化資源活用係
電話番号
0745-72-6565

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