旧吉川家住宅(旧所在 奈良県橿原市中町) きゅうよしかわけじゅうたく
記入年月日 2018/11/03
- 所在地
- 大和郡山市矢田町545番地大和民俗公園構内
- 区分
- 建造物 | 住居建築
- 指定内容
- 県指定有形文化財
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- 歴史文化資源の概要
- もとは橿原市中町に所在した自作農の典型的な農家で、庄屋を務めたといわれています。当家の過去帳によれば、元禄16年(1703年)に山之坊村より分家した頃の建築と推測されます。 主屋は間口6間半、奥行約4間、入母屋造りの茅葺きで、この周囲に本瓦葺きの庇がついています。 平面の右手は土間で、この表隅に中二階付きの機部屋を設け、この裏側はかまど・唐臼・流しなどを備えた釜屋になっています。 左手の居室は4室で、下手2室の間仕切り位置は半間表側にあって、食い違い四間取りとなっており、この間取りは、広間型三間取りより発展した平面形式と考えられています。 座敷の床・仏間・物入れは、建築後約80年くらい経ってから、改造されたものと思われます。
- 地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
- 中町(旧中村)は、国中(くんなか:奈良盆地一帯)の特徴的な農村集落の一村で、この村の西端に当家がありました。 国中の代表的な屋敷構えは、中央に南面して主屋を建て、表か裏に物干し場をとります。表側には長屋門を構え、この門の両端から奥へ、コの字型に納屋・稲小屋・米蔵・内蔵・内倉・離座敷などの建物で取り囲むのが、いわゆる囲造り(かこいづくり)です。当家もこの囲造りで、物干し場は主屋の裏にありました。 この主屋の構造では、多くの上屋柱(じょうやばしら)を省略して、庇部分を部屋に取り込む発展を表す反面、間仕切りは比較的開放的でありながら、外側の柱筋では土壁や突き止め溝を多く用いた形式などが施されていて、古式をよく留めた建物となっています。
- 問い合わせ先
- 奈良県立民俗博物館 総務課
- 電話番号
- 0743-53-3171
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