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大官大寺跡 だいかんだいじあと

記入年月日 2021/04/16

大官大寺跡全景
大官大寺塔跡
所在地
奈良県高市郡明日香村大字小山
区分
遺跡 | 社寺跡又は旧境内
指定内容
国指定史跡

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
 大官大寺跡は天香久山の南700m、明日香村の北端の小山から橿原市にわたる平坦地帯の中に位置します。飛鳥・藤原地域での古代寺院の中では最も巨大な寺院で、『日本書紀』において「おおつかさのおおてら」と訓じられているように、この寺は朝廷の寺、すなわち国家が直接建立した最初の官寺です。『大安寺伽藍縁起並流記資財帳』によれば、その創建は聖徳太子によって平群に創建された熊凝精舎にさかのぼるとされます。その後、舒明天皇10年(638)太子の意志を継ぐかたちで舒明天皇により百済川のほとりに「百済大寺」が造営されました。百済大寺は、天皇家の寺として初めて建てられた寺であり、その規模も九重塔が造営されるなど壮大なものであったといわれます。百済大寺は天武天皇2年(673)には天武天皇によって、飛鳥の地に遷され「高市大寺」とあります。さらに同6年(677)、天皇の寺という意味の「大官大寺」と改称され川原寺、飛鳥寺の三大官寺の首座としてその地位を確立することとなります。『日本書紀』に見える大官大寺の記事には、天武天皇14年(685)の天皇不予のための大官大寺・川原寺・飛鳥寺における誦経、翌朱鳥元年(686)の三綱や大官大寺の知事などの9人の高僧への供養、同年の大官大寺への七百戸の封戸や観世音経の講説があります。
 大官大寺はその後、平城遷都とともに寺籍を新都に移し大安寺と改称されます。旧寺は和銅4年(711)藤原京の大火で焼失し、以後、寺地は田畑や民家と化すこととなります。林宗甫の著した大和名所記である『和州旧跡幽考』(延宝9年(1681))には、大官大寺の跡をいまの明日香村小山の地にあり「大官大寺、俗、に講堂という。思うに一宇の礎石ありしにかわらず残り、昔の講堂の跡なればにやかくいうならん」と記しています。そしてまた、講堂の礎石は径6尺もあり、また、そばの塔跡の心礎は通常のものと著しく異なっているとも記しています。宝暦元年(1751)の『飛鳥古跡考』には礎石が44個残っていることが記されており、明治初年に岡本桃里が描いた見取図によると、このほか中央には東西30尺に及ぶ本尊の台座らしい石まで書かれています。また、塔跡についても34個の礎石と心礎が書かれていて、心礎は12尺に10尺もある巨石で、中央に舎利孔を彫り凹めた径4尺の柱座が認められ、また、四隅の礎石は6尺四方、その他の礎石は5尺四方と註記されています。これら堂塔の礎石は、明治22年(1889)に橿原神宮が造営されるにあたり、その資材として運ばれ、現在その面影を伝えるものはわずかに残った土壇のみとなっています。
 発掘調査の結果、伽藍は金堂と中門をつなぐように回廊がめぐり、回廊内東側に塔が建つ。金堂に繋がっていた回廊はさらに北側の講堂を取り囲んでいます。金堂・講堂は後の藤原宮大極殿に匹敵する規模を有し、九重塔は方5間、講堂は9間×4間と桁外れの規模をもちます。また、発掘調査ではこれらの伽藍が建設途中で焼失していることも明らかにするとともに、下層から出土する土器の年代から、この遺跡は文武朝の大官大寺であることが判明しました。
 大官大寺はその規模や構造から、国家が威信をかけて建築したことがわかると共に、古代寺院の建築方法や伽藍建築順序を解明できる点でも重要な遺跡です。また、東アジア各国に共通の国家仏教の象徴である九重塔が建てられるなど、我が国を代表する寺院跡といえます。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
大官大寺跡は『日本書紀』の記述と考古学の成果との整合性が高いことや、古代からの名称が現在の地名に残されているなど地域と一体となって飛鳥時代を体感することができる歴史文化資源です。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
『続日本紀』には高市大寺を大官大寺に改称するとし、『扶桑略記』には九重塔を建立すると記されており、発掘調査では大規模な寺院の痕跡が確認されていることから、大官大寺跡が大官大寺である蓋然性が高いと考えられます。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
天皇を中心とした律令国家の成立を目指す日本では天皇家の官寺として大規模な寺院を藤原京の都市計画の中に位置付けて造営しました。その思想は天武天皇にはじまり、持統天皇、文武天皇と引き継がれ、平城京遷都後には大安寺として移転・改称し、その法灯を現在まで伝えています。
当資源と関連する文献史料
『日本書紀』『続日本紀』『扶桑略記』
当資源と関連する伝承
周辺では狂心の渠の痕跡と考えられる遺構が検出されています。
他地域の関連する歴史文化資源
藤原京跡(奈良県橿原市)や本薬師寺跡(奈良県橿原市)との有機的な関連が考えられます。
問い合わせ先
明日香村総合政策課
電話番号
0744-54-2001

掲載されております歴史文化資源の情報は、その歴史文化資源が地域にとって大切であると考えておられる市町村、所有者、地域の方々により作成いただいたものです。
見解・学説等の相違については、ご了承ください。