中尾山古墳 なかおやまこふん
記入年月日 2021/04/16
- 所在地
- 奈良県高市郡明日香村大字平田
- 区分
- 遺跡 | 古墳
- 指定内容
- 国指定史跡
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- 歴史文化資源の概要
- 中尾山古墳については江戸時代に「中尾塚・中尾石塚」とも呼ばれ、南側に隣接する高松塚古墳とともに文武天皇の檜隈安古岡上陵ではないかと早くから注目を集めてきました。
墳丘は東西に伸びる丘陵の頂部に位置しています。墳丘は版築で築かれた対辺長約19.5m、高さ4m以上を測る三段築成の八角墳です。墳丘の一段目・二段目は、ともに裾部に花崗岩の根石を並べ、その上に拳大から人頭大の石材を小口積にして、さらに上部に根石同様の石材を垂直に積み上げた基壇状の石積みとなっています。墳丘の三段目については一段目・二段目とは異なり、版築土のみで八角形に整形しています。
外周石敷については墳丘の裾部から三重にめぐっていることを確認しました。外周石敷の対辺長は三重目で約32.5m以上を測り、墳丘裾部の広範囲にわたって石敷が施されていることがわかりました。埋葬施設は合計10石の切石で構成された横口式石槨です。規模は高さ、幅及び奥行各約90cmを測ります。また、石槨壁面は非常に丁寧に磨かれており、全面に水銀朱が塗布されています。床石は石英閃緑岩が使用されており、床面の中央部は一辺60cm、深さ1cmの範囲が凹状に削り込まれています。この区画には火葬骨を納めた蔵骨器を安置するための台が設置されていたものと考えられています。閉塞石の南側には墓道が設けられており、埋葬後、版築により埋め戻されています。この墓道の下面には幅約100cm、深さ約20cmの拳大の川原石を充填した暗渠排水溝が設けられています。出土した沓形石造物の表面は平滑に仕上げられ、端面はしのぎ状に約135度の加工が施されています。この石造物については、墳頂部の装飾に用いられていたと考えられています。
中尾山古墳が三段築成の八角墳であることが確認され、一段目・二段目については基壇状を呈していることや、三段目については版築のみで整形されていることが明らかとなりました。さらに外周石敷については三重にめぐっていたことも判明するなど、石敷が広範囲にわたって施工されていたことがわかります。また、埋葬施設が蔵骨器を納めた横口式石槨であることから、中尾山古墳が古墳文化の終焉を解明するための重要な資料といえます。また、古墳時代以来の伝統的な葬法とは決別し、仏教思想に基づく火葬を導入したことを示しています。
- 地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
- 中尾山古墳は『日本書紀』の記述と考古学の成果との整合性が高いことや、古代からの名称が現在の地名に残されているなど地域と一体となって飛鳥時代を体感することができる歴史文化資源です。
- 「記紀・万葉集」との関連とその概要
- 『続日本紀』慶雲四年の条には「遺骨を檜隈安古岡上陵に葬る。」と記されており、中尾山古墳がその立地や構造等を総合して、この陵である蓋然性が高いと考えられます。
- 当資源と関連する歴史上の人物とその概要
- 文武天皇は中国の思想に基づき新たに造営された藤原京で初めて即位した天皇で、大宝律令の制定、元号の制定、遣唐使の再開等、古代日本における画期的な事象に直接携わった天皇です。中尾山古墳は律令国家を体現した天皇としてふさわしい陵といえます。
- 当資源と関連する文献史料
- 『続日本紀』
- 当資源と関連する伝承
- 江戸時代には多くの研究者により文武天皇陵として認識されていたことが複数の文献史料から伺えます。
- 他地域の関連する歴史文化資源
- 隣接する天武・持統天皇陵古墳や高松塚古墳等との有機的な関連が考えられます。
- 問い合わせ先
- 明日香村総合政策課
- 電話番号
- 0744-54-2001
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