『万葉集』には、花を愛でたり、散るのを惜しんだり、またそのことを女性にたとえたりする歌がたくさん見られます。 龍田の桜の歌も、花が散るのを惜しむ歌の一つに数えられますが、やや他とは様相が異なります。それは、複数の歌をまたいで、桜の花の盛衰を表現しているところです。 右の歌は、その出だしにあたります。山の上に咲き乱れていた桜の花も、風や雨のせいで、ほとんど散ってしまったけれども、まだ下の方の枝には残っていると。その残った花に対して、あの方が戻るまでどうかそのままで、と願っています。 ここで言うあの方とは、難波(なにわの)宮(みや)造営のために派遣された藤原宇合(うまかい)(不比等の子)のことです。歌を詠んだとされる高橋虫麻呂も、難波宮造営との関係で、大和と難波宮を往復する立場にあったようです。 虫麻呂は、頻繁に龍田を越える道を往復し、まだ残っている、まだ残っていると、かろうじて残る桜のようすを何首も詠みました。しかし、とうとう宇合は、桜の花の時期に戻ってくることはできませんでした。 実際のところ、難波宮の造営が、そう簡単に終わるわけはありません。だとすると、間に合わないとわかったうえで、有名な龍田の桜の花を題材に、時制を巧みに操り、おもしろく表現したとの見方もできそうです。 (本文 万葉文化館 竹本 晃)
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