出会う 奈良県歴史文化資源データベース

土舞台 つちぶたい

記入年月日 2016/07/19

土舞台顕彰碑
土舞台(北側より撮影)
土舞台(南側より撮影)
所在地
奈良県桜井市谷
区分
遺跡 | その他
指定内容

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
土舞台は、桜井駅より南方へ約800mほどの距離にある丘の上にあり、推古天皇の時代に、時の摂政であった聖徳太子が、初めて「国立の演劇研究所」と「国立劇場」を設けた場所として伝えられてきました。日本書紀の推古記20年によると、百済人の味摩之(みまし)が日本に帰化し、呉の国で伎楽の舞を学んだと申したので、聖徳太子はその伎楽の舞を見て、土舞台で少年を集めて習わせたとされています。そのことから、土舞台は、「日本芸能発祥の地」と言われています。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
昭和47年に顕彰碑が建立され、それ以降、顕彰大祭とイベントが開催されています。また、地域の人が土舞台の草刈りをされるなど、地域の方からも親しまれている。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
 『日本書紀』の推古紀によると、百済人の味摩之(みまし)が日本に帰化し、呉の国で伎楽の舞を学んだと申したので、時の摂政であった聖徳太子はその伎楽の舞を見て、土舞台で少年を集めて習わせたとされています。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
 聖徳太子は用明天皇の皇子であり、推古天皇の摂政として仏教を中心とした古代国家の形成に多大な業績を残しました。日本古代史上でも最も知られる人物の一人となっています。
当資源と関連する文献史料
「大和名所図会」の巻之六 十市郡目録に土舞台の記載があります。
当資源と関連する伝承
 古くより廐戸皇子(聖徳太子)の「上宮」の推定地とされてきたところでもある上之宮遺跡、その南方に鎮座する春日神社の周辺は、かつて古瓦が出土したことが伝えられており、古代寺院が存在したと推定されます。その後身寺院にあたるであろう上宮寺には、後鳥羽院の宸筆の額が存在したことが『和州旧跡幽考』に記されています。
他地域の関連する歴史文化資源
土舞台は、明日香村の橘寺などの古代寺院や飛鳥の宮跡、斑鳩町の法隆寺や斑鳩宮、これらを結びつける太子道などとともに、廐戸皇子(聖徳太子)に関連する重要な歴史文化資源の一つとして挙げることができます。
問い合わせ先
桜井市 観光まちづくり課
電話番号
0744-42-9111(内線:342)

掲載されております歴史文化資源の情報は、その歴史文化資源が地域にとって大切であると考えておられる市町村、所有者、地域の方々により作成いただいたものです。
見解・学説等の相違については、ご了承ください。