出会う 奈良県歴史文化資源データベース

龍田大社 たつたたいしゃ

記入年月日 2016/08/12

龍田大社
御座峰
磐瀬の杜
所在地
奈良県生駒郡三郷町立野南1-29-1
区分
複合型 | 複数の歴史文化資源を包含する歴史文化資源
指定内容

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
 龍田大社は奈良県三郷町の立野地区にある旧官幣大社で、斑鳩町龍田にある龍田神社が「新宮」と呼ばれるのに対し、「本宮」とも呼ばれています。社伝では、数年に渡って凶作が続き疫病が流行したため崇神天皇が神託により当地に社殿を造営したとありますが、正史では、天武4年(675年)に天武天皇が勅使を遣わして風神を立野に、大忌神を広瀬に祀ったと『日本書紀』に記述があるのが初見です。『日本書紀』の中では前述の天武4年(675年)以来、天武朝では19回、持統朝において16回勅使を遣わし祀っているとの記載があります。『延喜式神名帳』では大和国平群郡に龍田坐天御柱国御柱神社二座及び龍田比古龍田比女神社二座の記載があり、龍田大社の祭神がこれにあたります。また、『延喜式』には四時祭のひとつとして「風神祭」に係る記述があり、平安時代中頃には4月4日及び7月4日に国家的に祭祀を行うことが定着していたことが分かります。以来、明治に入るまでは、風神大祭(風鎮大祭)が旧暦の4月4日と7月4日に行われており、明治以降に新暦になった際に7月4日は風鎮大祭、4月4日は例大祭と呼ぶようになりました。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
万葉集や古今和歌集にも詠まれる「龍田」という地名の象徴であり、龍田大社を管理することが、この地域や大和川の水運支配と結びついてきた歴史を持っています。現在でも、立野地域の住民にとって龍田大社の祭事が重要な位置づけになっています。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
 上記のとおり、『日本書紀』において広瀬神社と共に国家単位で祀られていた記述がある他、大和と河内を結ぶ龍田道との関係で『万葉集』にも「龍田」に関連する歌が取り上げられています。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
 高橋虫麻呂(万葉集巻9-1748)、聖徳太子(法隆寺の創建時の龍田大明神)、崇神天皇(上記のとおり)、天武天皇・持統天皇(上記のとおり)
当資源と関連する文献史料
三郷町役場『三郷町史』上・下巻 1976、柏原市立歴史資料館『亀の瀬の歴史-大和・河内をつなぐ道- 』2015、
上田安徳「龍田大社磐瀬杜瀧祭」「龍田大社風鎮祭」『祭礼事典・奈良県』奈良県祭礼研究会 1992
他地域の関連する歴史文化資源
 龍田神社・法隆寺(斑鳩町)、金山彦神社・金山媛神社(柏原市)、亀の瀬(柏原市)、龍王社(柏原市)、大和川水運
問い合わせ先
三郷町 教育委員会事務局 生涯学習課
電話番号
0745-43-7332

掲載されております歴史文化資源の情報は、その歴史文化資源が地域にとって大切であると考えておられる市町村、所有者、地域の方々により作成いただいたものです。
見解・学説等の相違については、ご了承ください。