茅原大墓古墳 ちはらおおはかこふん
記入年月日 2016/06/30
- 所在地
- 奈良県桜井市茅原
- 区分
- 遺跡 | 古墳
- 指定内容
- 国指定史跡
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- 歴史文化資源の概要
- 奈良盆地東南部の三輪山麓に位置する古墳で、墳丘全長約86m、後円部径約71mを測り、後円部に対し前方部が著しく小さい「帆立貝式古墳」の典型的な事例として知られています。後円部は3段、前方部は2段築成で、各段の斜面には葺石が施され、平坦面には埴輪列が巡らされることが発掘調査成果から判明しており、築造時期は古墳時代中期初頭の4世紀末頃と考えられます。
同時期の奈良盆地東南部では最大の古墳ですが、この地域にはそれ以前の3世紀代から4世紀中頃にかけての200m以上の巨大前方後円墳が複数築造されており、茅原大墓古墳の「帆立貝式」という墳丘形態や墳丘規模との格差は歴然です。この格差の背景には当時の政権勢力変動が関連していると考えられ、奈良盆地東南部の勢力が4世紀後半を境に衰退し、巨大前方後円墳が築造されなくなったと推定されます。茅原大墓古墳の墳丘形態は、こうした古墳時代の政治変動を象徴するものということができます。
なお平成22年の発掘調査では、最古に位置付けられる盾持人埴輪が出土しており、埴輪祭祀の変遷を考える上で重要な資料となっています。
- 地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
- 桜井市域では数少ない中期古墳の一つであり、その中でも規模が最大で、かつ良好な残存状況を保っています。また、ここからの出土遺物をすべて桜井市において所蔵し、管理しています。
- 「記紀・万葉集」との関連とその概要
- 茅原大墓古墳より出土した盾持人埴輪は、人物の造形をもつ埴輪としては最古のものです。このような埴輪の登場は、古墳祭祀や死生観の変化を示すものと考えられますが、こうした変化に関連する可能性のある記述が『日本書紀』にみられます。有名な垂仁紀の埴輪起源説話がそれであり、殉葬の風習に代えて古墳に埴輪が樹立されるようになったことが記されています。
- 当資源と関連する歴史上の人物とその概要
- 埴輪の創出を提言したとされる野見宿禰は、出雲(島根県または桜井市出雲)の出身で土師氏の祖とされ、相撲の起源説話にも登場することが知られています。
- 当資源と関連する文献史料
- 『日本書紀』の垂仁紀に埴輪起源説話があるほか、茅原大墓古墳の被葬者であるという伝承がある狭穂姫に関する記述が、『日本書紀』『古事記』にみられます。
- 当資源と関連する伝承
- 茅原大墓古墳を垂仁天皇の皇后である狭穂姫の墓とする伝承が、地元に伝えられています。また過去に勾玉や刀剣が出土したという伝承がありますが、その所在は不明であり、調査成果からも盗掘等が行われた可能性は低いと考えられています。
- 他地域の関連する歴史文化資源
- 古墳時代前期の大王墓を含む纒向古墳群、柳本古墳群、大和古墳群は、桜井市北部から天理市南部にひろがり、古墳時代中期の首長墓である茅原大墓古墳へとつながる系譜上に位置付けられます。
- 問い合わせ先
- 桜井市立埋蔵文化財センター
- 電話番号
- 0744-42-6005
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