出会う 奈良県歴史文化資源データベース

新沢千塚古墳群 にいざわせんづかこふんぐん

記入年月日 2018/05/08

東上空から見た新沢千塚
126号墳 ガラス皿(レプリカ)
126号墳 装身具(復元模造品)
所在地
奈良県橿原市川西町他
区分
遺跡 | 古墳
指定内容
国指定史跡

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
橿原市の南西部に位置する新沢千塚は、約600基もの古墳から成る日本を代表する群集墳です。これらの古墳は、橿原市と高市郡高取町との境界に位置する貝吹山から伸びる丘陵上に広がって築かれており、その範囲は東西・南北約2㎞に及びます。とりわけ古墳群の北西端にあたる低丘陵上(千塚山地区)には密集して古墳が築かれており、その数は約400基に上ります。 新沢千塚に古墳が造られ始めたのは4世紀の終わり頃です。以後、6世紀後半までの約200年という長期にわたって、この地に古墳が造られ続けることとなりました。うち最も多数の古墳が造られた時期は5世紀後半から6世紀前半です。 新沢千塚を構成する古墳の大半は直径約10~20m程度の円墳です。その他にも数は限られるものの前方後円墳や前方後方墳、方墳、長方形墳等のバラエティ豊かな古墳が存在します。埋葬施設は木棺直葬が大部分を占めます。 新沢千塚の代名詞といえるのが新沢千塚126号墳の存在です。126号墳は5世紀後半頃に築かれた長方形墳(東西22m、南北16m、高さ約1.5m)です。木棺直葬の埋葬施設とその周辺からは、遠くペルシャ地方や中国東北部、朝鮮半島といった海外からもたらされた品物を含む副葬品が多数出土しています。これらの出土遺物は国の重要文化財に指定されています。このように海を越えた様々な地域からの副葬品が、126号墳のような比較的小規模な古墳から発見されることは極めて異例です。これらの副葬品は、シルクロードの終着点=奈良の姿・イメージを示す文物として、正倉院より約300年も古いものなのです。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
多数の古墳が存在することは地元で古くから知られており、かつては周辺の集落名から鳥屋千塚、川西千塚などと呼ばれていたこともありました。現在は遊歩道等も整備され、史跡公園として地域の人々にとって憩いの場となっています。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
新沢千塚からは美しい畝傍山の姿を望むことができます。『万葉集』にも多くの歌が残されている畝傍山…、新沢千塚を築いた人々もこの景色に想いを馳せたことでしょう。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
新沢千塚に葬られた人々は誰であったのか、正確な記録は残されていません。その候補となる氏族として大伴氏、蘇我氏、東漢氏、葛城氏等の名が挙げられています。記紀には、これらの氏族の事跡が数多く描かれています。
当資源と関連する文献史料
『日本書紀』『古事記』『万葉集』
当資源と関連する伝承
該当無し。
他地域の関連する歴史文化資源
全国の群集墳 シルクロード
問い合わせ先
橿原市教育委員会事務局 文化財課
電話番号
0744-47-1315(直通)

掲載されております歴史文化資源の情報は、その歴史文化資源が地域にとって大切であると考えておられる市町村、所有者、地域の方々により作成いただいたものです。
見解・学説等の相違については、ご了承ください。