出会う 奈良県歴史文化資源データベース

水注形土器 みずさしがたどき

記入年月日 2017/10/11

所在地
奈良県橿原市畝傍町50-2
区分
考古資料 | 土器・土製品類
指定内容
国指定重要文化財

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
本資料は弥生時代中期(約2,100~2,000年前)の土器で、口縁部の片側に注ぎ口を有し、肩部にU字形の把手が取りつけられています。その形状から「水注(差)形土器」と呼ばれています。高さが21.9cm、胴部の最大径が15cmあります。口縁部上端から胴部下半にかけて櫛描簾状文、櫛描刺突文、波状文を施しています。底部には木の葉形の透かし孔を交互に向きを変えて施した高台が取りつけられています。描かれた文様や使用された胎土から、大阪の河内地域からの搬入品と考えられます。昭和42年(1967年)に国の重要文化財に指定されました。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
この土器の出土した新沢一遺跡は、橿原市一町に所在する弥生時代前期から後期にかけての奈良県を代表する集落遺跡です。曽我川の右岸に位置し、周辺には弥生時代前期の環濠集落である川西根成柿遺跡や、弥生時代中期の方形周溝墓群の拡がる観音寺本間遺跡などがあります。
新沢一遺跡は大正4年(1915年)に発見されて以来、多くの研究者により注目され、発掘調査も10次を超えています。今回紹介した水注形土器以外に、弥生時代後期の「土製の鋳型外枠」が特筆すべき遺物として挙げられます。これは青銅器生産に関係する資料で、奈良県内では5遺跡でしか確認されていません。この資料は残念ながら現在所在不明ですが、奈良盆地南西部で弥生時代の青銅器生産を示す唯一の資料となります。このほか、新沢一遺跡は石庖丁に使用される石材で吉野川流域に産出する結晶片岩の奈良盆地への流通拠点の一つでもありました。水注形土器も大阪の河内地域から運ばれてきたものですので、弥生時代中期以降、新沢一遺跡は交流拠点として、青銅器の生産地として栄えていたのでしょう。
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