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今村邸(現 安堵町歴史民俗資料館) いまむらてい(げん あんどちょうれきしみんぞくしりょうかん)

記入年月日 2017/11/27

今村邸(安堵町歴史民俗資料館)
今村勤三
今村荒男
所在地
奈良県生駒郡安堵町東安堵1322番地
区分
建造物 | 住居建築
指定内容

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
江戸時代から代々、村の庄屋役などをつとめた家です。幕末の天忠組(天誅組)(てんちゅうぐみ)や伴林光平(ともばやしみつひら)との親交があったことで知られる今村文吾(ぶんご)(1808~1864年)、明治20年(1887年)に大阪府から奈良県を独立・再設置に導いた運動家今村勤三(きんぞう)(1852~1924年)、大阪帝国大学(現大阪大学)第5代総長・文化功労者の今村荒男(あらお)(1887~1967年)の生家です。幕末から明治、大正、昭和と新しい時代にかかわった人びとを輩出しました。 敷地面積1,581㎡からなる邸内は、表門・同茶室「杏庵」(きょうあん)・主屋・蔵・庭園からなっています。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
江戸時代には晩翠堂が開かれ、天忠組(天誅組)に加わった伴林光平がたどり着いた場所であり、その後も現在に至るまで地域の新しい時代を切り拓く歴史の舞台となり、人びとが交流するきっかけとなった場である点。  また、町の伝統産業である「灯芯ひき」を後世に伝承していくため、熟練者の指導による灯芯ひき体験会を開催している事や、先人が残した暮らしの中の知恵や文化を継承していく事を目的に、さまざまな体験会<藺草(いぐさ)栽培、古代米作り(田植えから収穫・調整まで)、わらぞうり作りなど>を通して町の歴史を知り、学ぶ拠点となっている点。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
今村勤三:「奈良県の父」とも呼ばれ、大阪府からの独立再設置運動の中心的な役割を果たし、      次いで実業家として奈良鉄道会社の設立や奈良県初の日刊紙「養徳新聞」の創刊など、      多方面で活躍。 今村荒男:日本最初のBCG人体接種を行い、日本の結核・成人予防の先駆けとなる他、      大阪帝国大学(のちの大阪大学)第5代総長、大阪府立成人病センター所長などを歴任。 今村文吾:今村勤三の伯父。幕末の医師・儒学者であり、私塾「晩翠堂」を開設し、      天忠組(天誅組)一員となった伴林光平とともに教えていた。
当資源と関連する文献史料
「垣内摘草」(1859年 伴林光平)「南山踏雲録」(1863年 伴林光平) 「今村歌合集と伴林光平」(2001年 堀井寿郎)「青山四方にめぐる国」(1957年 奈良県) 「伴林光平の研究」(2001年 鈴木純孝)「大阪大学歴代総長餘芳」(2004年 大阪大学編)
当資源と関連する伝承
「杏庵」(きょうあん):天忠組(天誅組)の一員である伴林光平が記した「南山踏雲録」によると、光平が追っ手から逃走する途中、親交の深い今村邸に立ち寄りましたが、既に追跡の手が差し向けられていたため、会わずに今村文吾への手紙と金銭を残したとされており、一説では茶室の丸窓へ投げ込んだと伝えられています。
他地域の関連する歴史文化資源
飽波神社(あくなみじんじゃ)本殿:東安堵・西安堵の総鎮守社で、素盞嗚尊(すさのおみこと)が祀られており、今村家は飽波神社宮座の一員として名を連ねていました。平成7年(1995年)に県の指定文化財(建造物)に指定されました。 灯芯ひき:江戸時代から続くいぐさの皮を取り除いたズイ(芯)の部分を取り出す技術であり、灯芯は昔からあかりの燃え芯として使用され、現在でも当館で展示、体験会等を実施しています。他にもお寺や神社での行事の時や、和ろうそくの芯などに使われています。平成27年(2015年)に町で初めての安堵町指定文化財(無形民俗文化財)に指定されました。
問い合わせ先
安堵町 教育委員会事務局 歴史民俗資料館
電話番号
0743-57-5090

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