剣上塚古墳 けんじょうづかこふん
記入年月日 2019/04/24
- 所在地
- 奈良県生駒郡平群町若井
- 区分
- 遺跡 | 古墳
- 指定内容
- 平群町指定史跡
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- 歴史文化資源の概要
- 生駒山地から東に派生する尾根の先端付近に築造された直径約23mの円墳。築造時期は5世紀後半と考えられています。発掘調査により、埋葬施設には竪穴式から横穴式への過渡期の特徴を示す初期の横穴式石室が採用されていたことが明らかになりました。出土した馬具や甲(よろい)の製造技法などから、被葬者とその背後に、大陸との関わりをうかがわせる先進的な性格をもった集団の存在が想定されています。
- 地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
- 平群谷では、5世紀前半から中頃にかけて、渡来系文化の一端が及んでおり、5世紀後半から7世紀後半(古墳時代中期後半から終末期)にかけて、各時期に属する古墳が連続して築かれていきます。それらの中で最も古い時期に位置づけられる剣上塚古墳は、平群谷における古墳文化の萌芽をなす記念碑的存在であり、朝鮮半島伝来の可能性が高い出土馬具は、この地域における先進的な渡来系文化の伝播を示す歴史の生き証人と言うことができます。
- 「記紀・万葉集」との関連とその概要
- 記紀には、神々による世界の創造から、飛鳥時代にいたる我が国の歩みが記されています。このうち、叙述の後半を占めるのが、各地で古墳の築造がみられるようになった時代の記事です。平群谷地域の古墳は、6世紀中葉に台頭する平群氏へと連なる単一の被葬者集団によって築造されたとする説があり、剣上塚古墳は築造時期からみて、その嚆矢と言うべき存在です。
- 当資源と関連する歴史上の人物とその概要
- 剣上塚古墳の築造主体との系譜的なつながりが推定されるのが、古代豪族・平群氏です。記紀、とりわけ『日本書紀』には、平群氏についての豊富な伝承が記述されています。代表的な人物として、平群氏の始祖とされる木菟宿禰(ずくのすくね)、雄略・清寧天皇に大臣(おおおみ)として仕えた真鳥(まとり)といった伝説的な人物や、物部守屋討伐で活躍した神手(かむて)などが挙げられます。
- 当資源と関連する文献史料
- 剣上塚古墳と直接関わる同時代史料の存在は知られていません。
- 当資源と関連する伝承
- 明治32年(1899年)の『名勝旧跡取調書』縁由概略の項に「口碑ニ傳フル所、百余年前、甲冑・戦具等ヲ発掘シタル事アリト云フ」との記述がみえ、今から200年余り前に甲冑や武器類が出土したという伝承の存在が知られています。発掘調査では、墳頂の埋葬施設より短甲が出土しましたが、右側面が失われており、前述の記録と対応している可能性があります。
- 他地域の関連する歴史文化資源
- 剣上塚古墳と同時期の築造とみられ、出土した甲の製造技法が類似する遺跡として、新沢千塚古墳群(橿原市)の新沢115号墳などがあります。
- 問い合わせ先
- 平群町教育委員会
- 電話番号
- 0745-45-2101
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