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金福寺 こんぷくじ

記入年月日 2021/09/15

金福寺の外観
所在地
奈良県吉野郡吉野町志賀
区分
建造物 | 宗教建築
指定内容

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
 天智天皇の創建、天武天皇の開基と伝える寺院です。浄土宗の寺院で本尊は地蔵菩薩半跏像。そのほか、阿弥陀如来坐像、聖観音菩薩立像、不動明王立像、大威徳明王像などが祀られています。現在の建物の建立などは明らかでありません。
 以下では、同寺に伝わる『金福寺縁起』の概要を紹介します。
 ―天智天皇の没後、大友皇子が天皇の位をめぐって大海人皇子を襲いました。大海人は大友から逃れていると、うっそうと茂る木々の中に一つの庵を見つけました。大海人が庵に住む老婆に事情を伝え、助けを求めたところ、老婆は庵近くの塵塚に大海人を匿ったのでした。犬と鷹、数名の追手を伴って、大海人を追ってきた大友。大海人皇子を見失った大友は怒りくるい、見る目の鷹を殺して捨てていってしまいます。難を逃れた大海人は、その後、老婆のアドバイスに従って国栖の翁を頼り、最終的には、壬申の乱で大友軍を破ったのでした。
 即位して天武天皇となった大海人皇子がふたたび老婆の庵を訪ねると、空き家となっています。しばらくその場にたたずんでいると、老婆の正体は地蔵菩薩で、大海人の志に同感して助けたのだ、と空から声が響きました。その言葉を聞いた天武天皇はこの場所にお寺を建て、地蔵菩薩の尊像を彫刻しました。そして、大友に殺された鷹を埋めたために鷹塚山を山号とし、自らの名前を幼名を与えて大海院の院号を与えたといいます。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
金福寺縁起は、金福寺がある吉野町志賀の地名由来の伝承にも結びついており、地域で大切にされてきた資源であるといえます。また、金福寺縁起は大切に保管され、説教の際には信徒の方に語られるなど、今もたいせつにされている資源です。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
壬申の乱開戦前の大海人皇子にまつわる、いわばサイドストーリーの舞台です。大友皇子におわれた大海人皇子が、かくまわれた場所との伝承がのこります。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
【大海人皇子】天智天皇の弟。天智天皇の没後、壬申の乱に勝利して天武天皇となった。 即位後は官制改革、都の遷都、『古事記』編纂の指示、貨幣の発行、寺社の整備など様々な改革や取り組みを行ったことで知られる。後世の軍記物語でも紹介されるなど、人気が強い歴史上の人物のひとり。
当資源と関連する文献史料
大海人皇子の文献としては『古事記』『日本書紀』。 伝承に関する文献としては『源平盛衰記』『金福寺縁起』。
当資源と関連する伝承
 金福寺縁起に、次のような伝承が記されています。
 天智天皇の没後、大友皇子が天皇の位をめぐって大海人皇子を襲いました。大海人は大友から逃れていると、うっそうと茂る木々の中に一つの庵を見つけました。大海人が庵に住む老婆に事情を伝え、助けを求めたところ、老婆は庵近くの塵塚に大海人を匿ったのでした。犬と鷹、数名の追手を伴って、大海人を追ってきた大友。大海人皇子を見失った大友は怒りくるい、見る目の鷹を殺して捨てていってしまいます。難を逃れた大海人は、その後、老婆のアドバイスに従って国栖の翁を頼り、最終的には、壬申の乱で大友軍を破ったのでした。即位して天武天皇となった大海人皇子がふたたび老婆の庵を訪ねると、空き家となっています。しばらくその場にたたずんでいると、老婆の正体は地蔵菩薩で、大海人の志に同感して助けたのだ、と空から声が響きました。その言葉を聞いた天武天皇はこの場所にお寺を建て、地蔵菩薩の尊像を彫刻しました。そして、大友に殺された鷹を埋めたために鷹塚山を山号とし、自らの名前を幼名を与えて大海院の院号を与えたといいます。
他地域の関連する歴史文化資源
【吉野町志賀】大海人皇子がこの地の人々の心映えを称え、その志を賀して「志賀」と名付けたといいます。
問い合わせ先
吉野町役場産業観光課
電話番号
0746-32-3081

掲載されております歴史文化資源の情報は、その歴史文化資源が地域にとって大切であると考えておられる市町村、所有者、地域の方々により作成いただいたものです。
見解・学説等の相違については、ご了承ください。