出会う 奈良県歴史文化資源データベース

史跡藤原京跡 朱雀大路跡 左京七条一・二坊跡 右京七条一坊跡 しせきふじわらきょうあと すざくおおじあと さきょうしちじょういち・にぼうあと うきょうしちじょういちぼうあと

記入年月日 2022/06/27

藤原京朱雀大路跡 南から
所在地
奈良県橿原市別所町他
区分
遺跡 | その他
指定内容
国指定史跡

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
 「史跡藤原京跡 朱雀大路跡 左京七条一・二坊跡 右京七条一坊跡」は持統8(694)年から和銅3(710)年まで営まれた、我が国最初の都城藤原京の最重要地区です。
 藤原宮に南面した左京七条一・二坊、右京七条一坊は、宮(国政)と京(都)の運営に関わる重要施設(右京職、衛門府等)が密集する空間です。
 朱雀大路跡は、特別史跡藤原宮跡の宮城南正門(朱雀門)から南に延びる藤原京のメインストリートとして築かれました。朱雀大路の存在は藤原京が中国の都城制に倣って計画されたことを示すとともに、この朱雀大路を基準に藤原京が東を左京、西を右京と行政区分されるなど、我が国の都城の発展を解明する上で歴史上、学術上極めて価値の高い遺跡です。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
 特別史跡藤原宮跡と一体で歴史的名所としての重要性が高まり、橿原神宮と今井町重要伝統的建造物群保存地区に並ぶ、橿原市の観光名所となっています。今後も橿原市の生きた歴史教材として、また世界遺産を目指す「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の中核を成すべき資産として、その保存と活用が求められています。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
 『日本書紀』と『続日本紀』では、天武天皇五年の藤原京の造営着手を語る「新たに都つくらむとす。」から、持統天皇八年の藤原京遷都、文武天皇大宝元年正月記事にある律令完成と国家成立を象徴する「文物の儀、是に備れり。」や慶雲元年の遣唐使による初の「日本国」の国号を伝える「答えて曰く、日本国の使いと。」の記載、和銅三年の平城京遷都までの正史が記されています。また『万葉集』には持統天皇の御製歌や、藤原京の役民の作る(よめる)歌(巻1-50)では藤原宮の宮殿の材木を遠く近江国から運ぶ様子、藤原宮の御井の歌(作者不詳、巻1-52)では大和三山に守護された藤原宮と天皇を讃える願いを詠んだ歌が収められています。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
天武天皇:676年に藤原京の造営に着手、天皇を中心とした律令国家の首都を目指した天皇
持統天皇:志なかばでなくなった夫の遺志を継いで皇位に就き、694年の藤原宮遷都を成し遂げた天武天皇の皇后
文武天皇:天武天皇と持統天皇の孫で、701年の大宝律令完成や702年に遣唐使を再開した、藤原宮2代目の天皇
元明天皇:早世した文武天皇の母で平城京へ遷都した、藤原宮における3代目の天皇
高市皇子:天武天皇の皇子で、持統天皇を助けて藤原京造営を推進した太政大臣
藤原不比等:藤原鎌足の子で、高市皇子の死後に実力者の筆頭となった右大臣
当資源と関連する文献史料
『日本書紀』、『続日本紀』、『万葉集』、皇円著『扶桑略記』、卜部兼方著『釈日本紀』、賀茂真淵著『万葉考』、本居宣長著『古事記伝』・『菅笠日記』など
他地域の関連する歴史文化資源
飛鳥宮跡(明日香村)、平城宮跡(奈良市)、長岡宮跡(京都府向日市)、平安宮跡(京都市)など歴代天皇の宮殿遺跡、世界遺産暫定一覧表記載「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成資産(橿原市・桜井市・明日香村)
問い合わせ先
橿原市役所 世界遺産登録推進課
電話番号
0744-21-1114

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