大和神社ちゃんちゃん祭り おおやまとじんじゃちゃんちゃんまつり
記入年月日 2021/09/22
- 所在地
- 天理市新泉町
- 区分
- 民俗 | 無形民俗文化財
- 指定内容
- 県指定無形民俗文化財
※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。
- 歴史文化資源の概要
- 毎年4月1日に行われる大和神社の神幸祭は、氏子地域の九カ大字から頭屋、頭人子、氏子等が羽織袴や烏帽子に白装束で御旅所まで渡御を行うもので、中世から続く大和の古風な伝統行事です。
毎3月23日に宮入が行われ、九カ大字の頭屋と頭人児が大和神社に参拝します。3月31日の宵宮は、九カ大字の頭屋、頭人児、氏子等が大字旗を持って烏帽子に白装束姿で大和神社に参拝し、御幣を返納して産御幣を頂きます。4月1日の本宮は、大和神社から御旅所へ神輿2基を中心に宮司、神職、宮総代、諸役等が伴い、九カ大字の頭屋は頭人児、氏子等が産御幣をもって羽織袴や烏帽子に白装束で参列し、総勢200人ほどで渡御が行われます。御旅所は、大和稚宮神社で祭典があり、中山町の頭屋と氏子等が各大字から届いた供物を献饌します。各大字の氏子は神饌と参拝を待つ間に御旅所の広場で頭人児を囲んで会食を行います。全ての参拝が完了するとチマキ撒きが行われ、大和神社へ還御となります。御旅所祭と還御祭では、御神体の周りを龍が舞う「龍の口」、祭典の終盤に農耕と雨を表す「翁の舞」が施され、芸能の名残を留めます。また宮入から本宮までの祭りの期間は、各大字の頭屋宅の玄関先には屋代や御幣を供えた門飾りを作り大和神社の神霊を迎えます。
- 地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
- ちゃんちゃん祭りの氏子地域は龍王山の麓にあり、この地域には大和王権が築いたオオヤマト古墳群が築かれたところで古代国家発祥地でもあります。日本書紀に大和神社の祭神である大国魂大神(オオクニタマのオオカミ)の話しが崇神天皇の記事に登場し、大和神社のルーツとして注目されます。またちゃんちゃん祭りは、室町期の「大乗院寺社雑事記」に祭礼で中山寺に向かう大和明神の記録があり、500年以上も前から渡御が行われ現在も続く大和の古風な伝統行事です。
- 「記紀・万葉集」との関連とその概要
- 宮中で祭られていた大国魂大神を日本書紀によると崇神天皇が宮外へ移したと記録しています。その後、祭神が三輪山の麓から龍王山の麓にかけて点々と神地(カミドコロ)を変遷し、現在の大和神社が鎮座地となります。
遣唐使の派遣に際してその無事を「倭の大国玉」に祈願したことが万葉集の記載にあります。ちゃんちゃん祭りが行われる以前、奈良・平安期の大和神社は国家鎮護の神として朝廷から手厚く祀られ、延喜式神名帳に名神大社と記録されています。
- 当資源と関連する歴史上の人物とその概要
- 崇神天皇は、天皇大殿に祀る国家鎮護の神である天照大神を豊鋤入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)に、大国魂大神を渟名城入姫命(ヌナキイリヒメノミコト)に託して宮外に移し祀ります。ちゃんちゃん祭りでは、渡御の途中に岸田町のおやすみ所で神輿が休憩を行います。岸田町には大和神社の末社渟名城入姫神社があり、以前は渡御の途中で宮司が参拝していました(現在は前日に参拝します)。
- 当資源と関連する文献史料
- 日本書紀、万葉集巻第五、延喜式
- 当資源と関連する伝承
- ちゃんちゃん祭りは、兵庫町の氏子が3月31日に町の素戔嗚神社で小餅を供え吉野方に拝礼する吉野御供(ヨシノゴク)の行事を行います。かつては、ちゃんちゃん祭りの直前に吉野の丹生川上神社(中社)へ小餅を献饌していたといいます。丹生川上神社は延喜式によると明神大社で、天武天皇により雨乞いの神として祀られていました。かつて雨乞いの奉幣は大和神社の神主が担い奈良・平安期の大和神社は丹生川上神社と深い関係にありました。現在は丹生川上神社と交流はないですが、大和神社の境内には龍神である高龗(タカオカミ)神社が祭られその名残を留めています。
- 他地域の関連する歴史文化資源
- 大和神社の周辺には、渡御を行うお祭りが今も続けられています。石上神宮では、毎年10月15日に例祭布留祭りが行われ石上神宮から天理市田町の厳島神社まで頭屋と稚児参列してお渡りが行われています。また天理市乙木町でも10月12日に夜都伎神社までお渡りが行われ、大和の古風な行事が残ります。
- 問い合わせ先
- 天理市教育委員会文化財課
- 電話番号
- 0743-65-5720
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