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史跡吉備池廃寺跡 しせききびいけはいじあと

記入年月日 2023/07/18

所在地
桜井市吉備
区分
遺跡 | 社寺跡又は旧境内
指定内容
史跡(国指)

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
吉備池廃寺跡は、吉備池の南側の二つの高まりが塔・金堂跡で、その南に中門、さらに北側には掘立つ柱の建築群が検出され、東西250m、南北300m以上の大寺院であることがわかった。出土瓦から飛鳥時代前半期とみられ、舒明天皇の勅願により建立された百済大寺と想定する説もある。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
 吉備池廃寺は「桜井市総合計画」はもとより、近年では平成27年10月に策定された桜井市まち・ひと・しごと創生総合戦略まで、市のありとあらゆる計画に記述があり、市のスローガンである「観光・産業創造都市」のシンボルとして期待されている。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
『日本書紀』では、舒明天皇11年(639年)に舒明天皇によって百済宮とともに大寺が建立され、舒明天皇11年12月には百済川のほとりに九重塔が建立されたとされている。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
舒明天皇の勅願により建立されたわが国初の国家寺院である百済大寺の可能性が指摘され、調査成果により2002年3月に国史跡の指定を受けている。
当資源と関連する文献史料
『大安寺伽藍縁起并流記資財帳』には、建立の際に子部社を切り開いたために神の怨みで九重塔・金堂が焼き破られたと見えるが、吉備池廃寺の金堂・塔の発掘調査では焼失痕は認められていない。『日本書紀』には同様の記事の記載はないが、大寺の焼失とあれば『日本書紀』に記載されるはずであるため、九重塔の焼失は史実ではないとされる。
当資源と関連する伝承
近世期には、伽藍北半において農業用ため池として吉備池が築造されている。奈良盆地では、近世初期平坦地の周囲に築堤して水を溜める「皿池」形態の溜池が多数築造されており、吉備池もその一つとされる。
他地域の関連する歴史文化資源
吉備池廃寺の発掘調査によれば、堂塔・伽藍の規模は同時代の国内寺院をはるかに凌ぎ、新羅の皇龍寺跡や文武朝の大官大寺跡に匹敵する国家の大寺レベルになるとされる。
問い合わせ先
桜井市教育委員会事務局 文化財課 文化財係
電話番号
0744-42-6005

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見解・学説等の相違については、ご了承ください。