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添御縣坐神社本殿 そうのみあがたにいますじんじゃほんでん

記入年月日 2023/05/26

添御縣坐神社本殿
所在地
奈良県奈良市三碓三丁目
区分
建造物 | 宗教建築
指定内容
重要文化財

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
 添御縣坐神社は、奈良市西部の富雄地域にあります。「添」は地名(「添上郡」や「添下郡」の「添」)、「御縣(みあがた)」は古代朝廷の直轄地のことで、社名は「添にある朝廷直轄地に鎮座する神社」という意味です。『三代実録』の貞観元年(859)の条や10世紀成立の『延喜式』に記述がありますが、奈良市歌姫町にも同名の神社があることなどから、記述が当社に該当するかは明らかではありません。しかし、いずれにしても相当古くから祭られてきた神社とみられます。
 本殿は、墨書から永徳3年(1383)の建立と判明します。五間社流造、檜皮葺で、中央の間と両端の間に3柱の神を祭り、その上部3か所に千鳥破風が付きます。これは、春日造の本殿3棟を相の間でつないだ形です。九間社流造、檜皮葺で、5か所に千鳥破風が付く、住吉神社本殿(山口県下関市、1370年、国宝)とともに、類例の少ない形式です。
 蟇股、木鼻、脇障子の竹の節欄間には彫刻がみられます。両側面の蟇股が当初材である他は、寛文5年(1665)の修理時のものですが、寛文の蟇股や木鼻も意匠は古風で、取替前の形状を踏襲しているとみられます。
 明治40年(1907)に特別保護建造物(現重要文化財)に指定されました。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
 本殿は、五間社流造で3か所に千鳥破風が付く類例の少ない形式で、室町時代の神社本殿建築の姿をよく伝えています。当初の蟇股に繊細で優美な透彫彫刻がみられるなど細部意匠も優れ、時代の特徴をよく示しています。
 また、伊弉諾神社(生駒市上町)が上鳥見の、登彌神社(奈良市石木町)が下鳥見の鎮守といわれるのに対し、当社は中鳥見の鎮守といわれ、古くから当地域における重要な神社でした。現在も多くの人々の信仰を集めています。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
「当資源と関連する伝承」の項参照。
当資源と関連する文献史料
『三代実録』、『延喜式』
当資源と関連する伝承
 記紀によると、富雄地域は、イワレヒコ(=神武天皇)が東征し大和の地に入る際に最後まで抵抗して戦ったナガスネヒコの本拠地とされています。イワレヒコとの戦いに敗れたナガスネヒコは、共に国を治めていたニギハヤヒからの、イワレヒコの軍門に下ろうという呼びかけを拒んだため、ニギハヤヒに殺されたことになっています。
 しかし、地元の伝承では、実はその後もナガスネヒコは生きていて、住民たちの間で再度挑戦・捲土重来の声が高まる中、「わしが生きていてはまた皆に担ぎ上げられ、戦になって人々が苦しむことになるからわしは自決する。残されたお前たちはイワレヒコに従って、新しい国づくりに励むように。」という趣旨の言葉を残して自決したとされています。住民たちはその死を悼み、ナガスネヒコの御霊を祀る祠を建てたのが、添御縣坐神社の創始と伝えられています。
他地域の関連する歴史文化資源
添御縣坐神社(奈良県奈良市歌姫町) 登彌神社(奈良県奈良市石木町、国登録有形文化財5棟) 伊弉諾神社(奈良県生駒市上町) 住吉神社本殿(山口県下関市、国宝)
問い合わせ先
奈良市教育委員会事務局 教育部 文化財課
電話番号
0742-34-5369

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