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正暦寺福寿院庭園 しょうりゃくじふくじゅいんていえん

記入年月日 2023/10/24

正暦寺福寿院庭園
所在地
奈良県奈良市菩提山町
区分
名勝 | 庭園
指定内容
奈良市指定文化財

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
 正暦寺は、正暦3年(992)の創建と伝わります。中世には興福寺の別院として栄えましたが、近世以降は衰退し、現在唯一残る塔頭が福寿院です。その客殿(重要文化財)は、棟札から延宝9年(1681)の建立と判明しています。
 庭園は前庭と主庭からなります。作庭年代を示す資料はありませんが、客殿建立と同時期とみられています。荒廃していましたが、昭和52年(1977)から翌年にかけて客殿の解体修理が行われたのにあわせて、日本庭園史家で作庭家でもあった森蘊(もりおさむ、1905-1988)が整備・改修しました。
 前庭は、表門から客殿へ矩折状の石畳が続き、左右に景石を配し、アカマツ・イロハモミジ・ドウダンツツジなどを植えています。
 主庭は、客殿西側の、低い土塀で囲まれた南北に細長い空間です。土塀側をコケ、客殿側を砂利敷きとし、大小の景石を配し、クロガネモチ・マツ・ツバキ・サザンカ・ドウダンツツジなどを植えています。土塀の背後を流れる菩提仙川には小滝が作られ、水音が心地よく響きます。川を隔てた西方の山には樹林が広がり、庭園と一体となって優れた景色を作ります。「菩提山(仙)川のもみじ」は当寺に伝わる「十景の勝」の一つです。
 整備・改修を行った森蘊は、事前に庭園を実測し、破損個所を明らかにしたうえで、江戸時代初期の京都・奈良の庭園のあり方を念頭に施工にあたりました。主庭では倒れていた景石を立て起こし、茂りすぎた樹木は除伐・剪定しました。前庭では飛び石を打つ、生け垣を作るなど手を加えたところもあります。この整備・改修により、荒廃して不明確であった作庭の時代性が明確になり、庭園と背後の樹林との一体性が高められました。本庭園は、庭園史研究が実際の整備・改修につながった森蘊の代表作の一つにあげられます。
 令和5年(2023)に奈良市指定文化財に指定されました。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
 正暦寺福寿院庭園は、建物や背後の樹林との一体性の高さが特筆されます。庭園と周辺の自然景観を融合させ、空間を一体化させる手法は日本庭園に受け継がれてきた伝統です。季節の移ろいとともに様々な色彩をみせる樹林はこの庭園の重要な構成要素で、これらが相まってつくる景色は高い観賞上の価値があります。
 また、庭園の整備・改修は、奈良を中心に生涯に約70の庭園を手がけた作庭家でもある森蘊が、日本庭園史家としての高い学術的見識に基づき、作庭年代、建築や周囲の自然景観との関係性を考慮して行ったもので、庭園史における学術上の価値も高く評価できます。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
森蘊(もりおさむ)
明治38年(1905)~昭和63年(1988)。庭園史の研究者、作庭家。昭和27年(1952)奈良文化財研究所に入所、昭和42年(1967)まで建造物研究室長を務めました。全国の歴史的な庭園を測量し、桂離宮や修学院離宮の研究をはじめとする優れた研究業績を残しました。退官後は、庭園文化研究所長として、京都の浄瑠璃寺、奈良の円成寺や旧大乗院、平泉の毛越寺等、多くの歴史的な庭園の修理・復元整備を手がけました。自ら作庭活動も行い、奈良の寺院をはじめ各地に作品を残しました。
他地域の関連する歴史文化資源
円成寺庭園(奈良県奈良市忍辱山町、国指定名勝) 旧大乗院庭園(奈良県奈良市高畑町、国指定名勝) 浄瑠璃寺庭園(京都府木津川市、国指定特別名勝) 毛越寺庭園(岩手県平泉町、国指定特別名勝)
問い合わせ先
奈良市教育委員会事務局 教育部 文化財課
電話番号
0742-34-5369

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