歴史文献で訪ねる奈良
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- 文禰麻呂墓(宇陀市)
西国三十三所名所図会でみる
文禰麻呂(生年不詳-707年)は、壬申の乱(672年)で大海人皇子方の将軍として活躍した武人です。図会の文中に「天保二年(1831年)八滝村の米山といへる所(現宇陀市榛原区八滝)の山畑より、農夫はからず銅器を掘り出せり。」とあり、「鋳銅」(いもの)・「鋳物鍍金」(いものめっき)などの出土品が描かれています。 「鋳銅」の中に納められていた墓誌(埋葬者の略歴等を記したもの)から、ここが文禰麻呂の墓であることが分かりました。出土品は国宝に、墓は国の史跡に指定されています。
文禰麻呂墓が発掘された場所は、現在では史跡公園として整備されています(宇陀市榛原区八滝)。碑の横には、文禰麻呂の子である文馬養(ふみのうまかい)が詠んだ歌碑が立てられています。