歴史文献で訪ねる奈良
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- 大峰山上獄(川上村/天川村)
大和名所図会で見る
図会(左)に「山上岳」として描かれている大峰山上獄は、修験道の創始者である役行者が開いたと伝えられています。山頂には大峰山寺があり、平安時代前期には藤原道長をはじめとする貴族の大峯参りが盛んとなりました。図会の文末に記されている「僧正行意」も、藤原氏の子孫(藤原基房の子)です。なお、大峰山寺は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産となっています。
図会(右)には、天河大辨財天社が描かれています。飛鳥時代の創建とされ、大峰最高峰である弥山の鎮守として祀られたのが始まりです。9世紀には、弘法大師が修行の場所としてここを選んだことでも知られます。弁財天は芸能の神様でもあるため、現在でも芸能関係者の参拝が絶えません。
弁財天は七福神中、紅一点の神であり、琵琶を手に持つ姿から芸能の神として信仰を集めています。本殿に祀られている弁財天像は通常非公開で、毎年7月16日から17日の例大祭においてのみ開帳されます。