第18回 森川杜園展に寄せて 其の一

 幕末から明治にかけて、さまざまな分野に驚くべき才能を持った俊英が日本全国にたくさん現れ、近代日本の黎明期に大活躍しました。それは、政治・経済や産業分野だけでなく、学門や美術工芸においても、枚挙に暇がありません。人口が今の四分の一くらいだったことを考えると、その数は驚異的です。わが国が、この激動期にこれだけの人材を輩出できたことは、江戸時代が築き上げた類い希なる文化国家の成果であったといえるでしょう。
 私は、奈良の痛快漢・森川杜園(もりかわとえん、1820〜1894)もそのひとりに加えたいと思います。幕末から明治にかけて大きく揺らいでいた神仏習合の宗教都市・大和国に、彼のような多彩なアーティストが生まれたことは、当時のこの土地の文化程度の高さを物語っています。
 彼は、幼いころから絵画、木彫、狂言を貪欲に学び、またその才能ゆえに多くのひとびとから愛された異才でした。興福寺御用の絵師で鹿の図を得意とした内藤其淵(ないとうきえん)に絵画を、木彫り師・岡野保伯に奈良人形の手ほどきを受け、やがて明快な彫刻面で構成される奈良一刀彫りの第一人者となりました。動物や舞楽や能楽を題材にした優れた木彫作品を制作しましたが、その造形は古様に倣っただけでなく、ひとめで杜園作とわかる童子体型で、滑稽味と味わいのある個性を持っています。今は奈良町といわれる元興寺近辺の町屋に暮らし、興福寺や春日大社とも縁が深く、また能楽・狂言にも長けていました。特に、狂言は自宅に稽古舞台を造るほどの打ち込みようで、当時の大舞台にも声がかかるほどの巧者であったといわれます。ですから、彼を木彫家で括ることには無理があります。
 そして杜園の自筆ではないかと言われているこの舞台の鏡板は、現在、春日大社で保管されているとか。また彼の旧宅は奈良市中新屋町に現存していますが、現在の所有者が遊び心溢れる「ならまち刀剣ショップ杜園」を経営し、奈良町を訪れる観光客にも人気があります。空襲を受けなかった市内に残っているこうした奈良の文化財は、日本の宝です。
 森川杜園の生涯を知るには『藝三職 森川杜園』(燃焼社、2012)がお薦めです。これは、大津昌昭氏の綿密な考証と見事な筆致で展開する「伝記小説」なのですが、のんびりした大和弁のひとり語りがあまりにもよくできているために、杜園先生から直にお話を伺っているような錯覚を覚えるところが、ちょっと危険な書物です。「これは、小説、小説」と確認しながら読み進める必要があります。
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 奈良県立美術館の秋の企画展『生誕200周年記念 森川杜園展』が、9月23日(木・祝)から始まります。美術館では、ただいま展示と準備の真っ盛り。そして、木彫家である私は、森川杜園について語りたいことは山ほどあります。11月14日(日)までの会期中に、あと何度かに分けて寄稿したいと思いますので、どうぞお楽しみに。(→展覧会チラシ(pdf 921KB)

2021年9月8日
館長 籔内佐斗司