第64回 商業デザイン

 藝術は、経済が大いに盛り上がっているとき、すなわちバブル経済が発生している場所で大きく花開きます。ルネッサンス期のフィレンツェ、植民地や東インド会社が莫大な冨をもたらした頃のオランダや英国、世紀末から20世紀初頭のパリ、1950〜70年代のニューヨークがそうでした。日本でいえば、南蛮貿易で栄えた安土桃山時代に生まれた茶の湯の文化や装飾的絵画の琳派、元禄バブル期に生まれた浮世絵などは、日本美術の代表として今も世界で高く評価されています。逆を言えば、歴史的に見て経済が沈滞している場所での藝術界は概ね生彩がありません。思い起こせば、オリンピックや万博が開かれた1960年代から90年代の日本は行け行けどんどんの時代で、藝術界は大いに活況を呈しました。しかし、経済規模では当時よりも巨大化している現代ですが、あの頃に比べていまひとつ元気がないのは、バブル経済ではないからでしょう。

 戦後、日本のアパレルブランドが世界を席巻したころは、ファッションデザイナーの黄金時代でした。三宅一生(1938〜2022)、山本寛斎(1944〜2020)は、デザイン性でもビジネス面でも世界的な成功を収めました。寛斎さんの狂言や歌舞伎の衣裳を思わせる奇抜な造形性に世界が驚き、一生さんの洗練された色彩や日本の絞りや縮緬地を思わせる「PLEATS PLEASE」(1993)シリーズは、意匠性だけでなく機能面でも、世界中のアパレル業界が虚を突かれたものでした。かつて、あるニューヨークの画廊経営者が東京に来たとき、絵画が並んでいる銀座の画廊街や美術館には目もくれず、まず青山の「イッセイ・ミヤケ」のショップに行きたがったのは衝撃的でした。
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左:山本寛斎「スケッチャーズ」ポスター 右:三宅一生(Esquire.comより)

 また工業デザイン分野では、奥山清行(1959〜)や由良拓也(1951〜)らの若き自動車デザイナーがポルシェやフェラーリなどのデザインを刷新して世界を魅了しました。余談ながら、由良氏はスマホの自撮り棒を開発しながら、日本ではまったく売れなかったので権利を放棄したことはあまり知られていないことです。

絵や彫刻とちがい、作者の名前が出ない商業デザインや広告デザインですが、ほとんどのひとが日常的に彼らのしごとに触れています。亀倉雄策(1915〜1997)が生み出した多くの企業ロゴや作品は傑作ぞろいです。特に1964年の東京オリンピックのポスターに代表されるアートワークのすばらしさは伝説的です。それに引き替え、TOKYO 2020のものは、残念ながらかなり低調と言わざるをえません。また資生堂や西武・パルコなどの先鋭なアート戦略を牽引した石岡瑛子(1938〜2012)のポスターや、誰もが知っているロゴマークの多くをデザインした松永真(1940〜)の作品も、いつまでも色褪せることがありません。

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左:亀倉雄策「TOKYO 1964」ポスター 中:石岡瑛子「資生堂Beauty Cake」ポスター 右:松永真「日本財団 ロゴマーク」

 そして忘れてはならないのが、奈良市出身で日本の高度成長期に大活躍したグラフィックデザイナー・田中一光(1930〜2002)。奈良県立美術館には、彼の充実したコレクションがあり、開館50周年記念の第一弾として、特別展『田中一光 デザインの幸福』展を4月22日(土)〜6月11日(日)に開催いたします。知的で温かくユーモラスな彼の作品は、使い捨てられることの多い商業デザインにおいて、これからも永く輝いていくことでしょう。

 そして今展では、生前から親交の深かった三宅一生とのご縁から、三宅デザイン事務所と三宅一生デザイン文化財団のご協力を頂き、新装なった県美ギャラリーを中心に彼の特別展示をいたします。

 田中一光、三宅一生という日本を代表する商業デザイン界の巨匠の世界を一堂に楽しめる今回の展示を、ぜひお見逃しなく。

2023年4月19日 
奈良県立美術館館長 籔内佐斗司