太子道(三宅町) たいしみち(みやけちょう)
記入年月日 2019/05/07
- 所在地
- 奈良県磯城郡三宅町(町道70号線)屏風~伴堂
- 区分
- 古道・古街道 | 古道・古街道など
- 指定内容
※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。
- 歴史文化資源の概要
- 飛鳥時代に、聖徳太子が斑鳩宮から三宅の原を経て飛鳥の小墾田宮を往来した道が「太子道」です。この道路は、南南東方向へ斜行している道で、別名「筋違道」とも呼ばれています。太子道は、現在の生駒郡斑鳩町の高安付近から東南に延びていました。磯城郡三宅町の屏風・伴堂を通り、田原本町の矢部付近で南北に走る矢継街道に入り、橿原市八木町から飛鳥川の堤を高市郡明日香村に向かっていました。
- 地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
- 邪馬台国の一隅であったこの地に愛の花あざさが香り、聖徳太子の和の願いと僧忍性の慈愛の心が漂う「歴史と愛の町」三宅町にとって、聖徳太子にまつわる史跡が残る太子ゆかりの「太子道」は、ボランティアガイドの方々が中心となり、1300年あまり伝承されてきたおもてなしの心を大切に一工夫された活動を継続されています。
- 「記紀・万葉集」との関連とその概要
- 『日本書紀』推古14年(606年)7月 「天皇、皇太子(聖徳太子)を請(ま)せて、勝鬘経を講(と)かしめたまふ。三日に説き意(を)へつ。」「是歳(ことし)、皇太子、亦法華経を岡本宮に講(と)く。天皇大きに喜びて、播磨国の水田百町を皇太子に施(おく)りたまふ。困りて斑鳩寺に納(いれたまふ)。」
- 当資源と関連する歴史上の人物とその概要
- 『古今目録抄』(13世紀前半・聖徳太子の伝記) (要旨)或書に云う、太子鵤宮より毎日 橘寺推古天皇宮詣でる。其の道近くするように須知迦部路を作り、供の者は、屏風を進める。屏風を立てたところを屏風寺という。
- 当資源と関連する文献史料
- 黒駒に乗る太子像〈現在の像は平成24年11月に再建〉・腰掛石(白山神社) 太子接待の絵馬〈安永6年(1777年)9月奉納〉・屏風の清水(屏風杵築神社)
- 当資源と関連する伝承
- 三宅町屏風の杵築神社で毎年11月22日に「太子道の集い」が行われます。里人が聖徳太子を接待した故事にちなみ、町民が太子の足跡をたどる法隆寺主催ウォーキングラリーご一行様に、神社の境内で赤米の粥などを振る舞います。昼食後、町民がふんした聖徳太子が馬で先導し、神輿に乗せた太子像を担ぐ従者らが続きます。最後は、三宅ボランティアガイドの会による「万葉歌朗唱とおもてなし天平の舞」でご一行様を歓送します。
- 問い合わせ先
- 三宅町役場 政策推進課
- 電話番号
- 0745-44-3070
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