出会う 奈良県歴史文化資源データベース

大安寺 だいあんじ

記入年月日 2017/03/22

所在地
奈良市大安寺2-18-1
区分
複合型 | 複数の歴史文化資源を包含する歴史文化資源
指定内容

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
聖徳太子が平群に建てた熊凝精舎がその草創といわれています。飛鳥の藤原京で百済大寺、大官大寺となり奈良時代に現在の地に移り大安寺となりました。南都七大寺のひとつに数えられ、左京六条四坊から七条四坊にまたがる広大な寺域を占め、九百名弱もの僧が学ぶ大伽藍を誇っていました。現境内の南に残る七重塔跡に昔日の威容を偲ぶことができます。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
1300年前の歴史や文化が今に息づく奈良。その奈良を代表するお寺の一つであり、珠光茶会等の奈良市の観光施策にも寄与していただいています。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
道慈:聖武天皇の命を受け大安寺の建造に関わりました。大宝2年の遣唐使に従い、帰国後、僧尼を管理する律師に任じられました。入唐時は、長安の西明寺に止住しており、大安寺は西明寺を模して建てられたとされています。
当資源と関連する文献史料
『三代実録』
「大安寺伽藍縁起并流記資財帳」(重要文化財・文化庁蔵)                             『七大寺巡礼私記』大江親通  
当資源と関連する伝承
『三代実録』元慶4年(880年)冬10月の条に、「昔日、聖徳太子平群郡熊凝道場を創建す。飛鳥の岡本天皇、十市郡百済川辺に遷し建て、封三百戸を施入し、号して百済大寺と曰う。子部大神、寺の近側にあり、怨を含んで屡々堂塔を焼く。天武天皇、高市郡の夜部村に遷し立て、号して高市大官寺といい、封七百戸を施入す。和銅元年平城に遷都し、聖武天皇詔を下して律師道慈に預け、平城に遷し造らしめ、大安寺と号す」と記されています。
他地域の関連する歴史文化資源
百済大寺
問い合わせ先
奈良市 観光戦略課 文化財課
電話番号
0742-34-4739・5369

掲載されております歴史文化資源の情報は、その歴史文化資源が地域にとって大切であると考えておられる市町村、所有者、地域の方々により作成いただいたものです。
見解・学説等の相違については、ご了承ください。