法隆寺(若草伽藍跡・西院・東院) ほうりゅうじ(わかくさがらんあと、さいいん、とういん)
記入年月日 2017/03/22
- 所在地
- 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内
- 区分
- 複合型 | 複数の歴史文化資源を包含する歴史文化資源
- 指定内容
- 国宝、重要文化財、国史跡
※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。
- 歴史文化資源の概要
- 法隆寺は金堂を中心とした西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分かれています。創建については明らかではありませんが、金堂に安置される薬師如来像の光背の銘文などによると推古天皇15年(607年)とされています。世界最古の木造建造物である金堂をはじめ、各時代の建物が揃っています。また、金堂に安置された釈迦三尊像などの仏像や、絵画や工芸品などの多数の寺宝があり、日本の文化財の宝庫とも言われています。
また、現在の西院伽藍の南東方向に、「若草伽藍」と呼ばれる寺院遺跡があります。『日本書紀』によると法隆寺は、天智天皇9年(670年)に焼失したとされ、この記述の真偽を巡って論争が続いていましたが、昭和14年に若草伽藍跡の発掘調査が行われた結果、南北に並んだ塔と金堂の跡が見つかり、出土した瓦などから、若草伽藍は聖徳太子の建立した当初の法隆寺である可能性が高まりました。
東院は、かつて聖徳太子一族の住まいであった斑鳩宮の跡地に、天平11年(739年)に僧行信によって夢殿を中心として建てられた聖徳太子を祀る寺院でしたが、平安時代に法隆寺の管理となり、東院と呼ばれるようになりました。
なお、法隆寺は法起寺とともに、「法隆寺地域の仏教建造物」として平成5年(1993年)に、姫路城とともに日本で最初の世界文化遺産に登録されました。
- 地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
- 聖徳太子が建立した寺院であり、現存最古の木造建造物として、日本で最初に世界文化遺産に登録されているためです。
- 「記紀・万葉集」との関連とその概要
- 『日本書紀』によると天智天皇9年(670年)に焼失し、その後、現在の場所に再建されたとされています。
- 当資源と関連する歴史上の人物とその概要
- 聖徳太子
- 当資源と関連する文献史料
- 『日本書紀』
『法隆寺伽藍縁起幷流記資材帳』
「法隆寺金堂薬師如来像光背銘」他
- 当資源と関連する伝承
- 法隆寺東院伽藍の中心となる建物は「夢殿」と呼ばれていますが、「夢殿」とは聖徳太子が斑鳩宮で瞑想した建物の名であると言われています。
- 他地域の関連する歴史文化資源
- 法起寺
- 問い合わせ先
- 斑鳩町文化財活用センター
- 電話番号
- 0745-70-1200
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