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八幡神社中門 はちまんじんじゃちゅうもん

記入年月日 2020/04/07

奈良市指定文化財 八幡神社中門
所在地
奈良市東九条町1316
区分
建造物 | 宗教建築
指定内容
市指定有形文化財

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
八幡神社中門 付 翼廊2棟
・構造形式:中門 桁行一間、梁間二間、四脚門、切妻造、本瓦葺
        付 翼廊2棟 各 桁行三間、梁間二間、切妻造、本瓦葺
・年  代:室町時代(16世紀)、江戸時代(17世紀前期)に改造
・指定年月日:平成6年3月2日
八幡神社は、9世紀に宇佐八幡を勧請して大安寺の鎮守としたことに始まると伝えられています。中門は、室町時代後期に建立された規模の大きな四脚門です。永正元年(1504年)の火災後まもなく建てられたものが、江戸時代初めの改造により、現在の姿になったと考えられます。両脇の翼廊はもとは中門に直接つながっていたとみられます。屋根は昭和後期に新しくされていますが、木鼻や蟇股には中世建築の特徴がよく表れており、奈良市の神社における中世の四脚門として貴重な建物です。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
八幡神社は、史跡大安寺旧境内にあって、平安時代以来の古い由緒を有しています。大安寺衰退後は、地域の氏神として近在の村人の力によって復興され、今日に及んでいます。当社には宮座があり、観音堂衆左座と座衆右座にわかれ、当屋行事も古いしきたりで続けられています。翼廊は、祭礼の際の役員の席や神饌を供える準備にあてられます。このように、八幡神社中門は、古代以来の歴史を伝え、中世に遡る神社建築として貴重であるとともに、地域に継承される祭礼行事の舞台として民俗学上も高い価値をもつことなどから、地域にとって大切な歴史文化資源であるといえます。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
行教。生没年不詳。平安時代前期の大安寺の僧。石清水八幡宮創立の僧として著名。社伝では、行教が入唐後帰朝の際、宇佐八幡宮に参籠して八幡神を遷座し、大安寺の鎮守としたと伝えています。
当資源と関連する文献史料
『大安寺八幡宮御鎮座記』に沿革を記しています。
『七大寺巡礼私記』に「八幡大菩薩廟松(社カ)西南二方有門戸、斯神殿者有東塔之北」とあり、斉衡2年(855年)行教が宇佐の八幡神を勧請したと記しています。
『建久御巡礼記』『諸寺建立次第』によると、八幡大菩薩は大安寺石清水房に奉置、のち京都の男山に移したとされます。
『七大寺日記』にも「行教和尚坊跡辺ニ有石井、是云石清水ト、于今井有之、今ノ八幡石清水之根本也」とみえます。
『朝野群載』には、興福寺衆徒が男山八幡は大安寺より遷座したもので大安寺八幡が根本と主張したのに対し、男山も自社を本と称して譲らなかったという記事がみえます。
『多聞院日記』に、文明10年(1478年)8月、舞殿の南に敷く薄縁の配分をめぐって八条と東九条の間に相論があり、闘争に発展しかねなかったため猿楽は省かれたとの記録があります。
『大乗院寺社雑事記』明応元年(1492年)8月28日条によると、辰市八幡宮とも称し、春日大社の正預が一度は必ず頭役として勤仕したことがわかります。
『大乗院寺社雑事記』永正元年(1504年)5月19日条に、焼失を伝えています。
当資源と関連する伝承
社伝に、行教が入唐後帰朝の際、宇佐八幡宮に参籠して八幡神を遷座し、大安寺の鎮守としたといいます。
石清水八幡(現京都市八幡市)は、大安寺から遷座したと伝えています。
他地域の関連する歴史文化資源
宇佐神宮(大分県宇佐市)
石清水八幡宮(京都府八幡市)
問い合わせ先
八幡神社 社務所
電話番号
0742-62-3240

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