出会う 奈良県歴史文化資源データベース

史跡 森野旧薬園 しせき もりのきゅうやくえん

記入年月日 2020/06/19

史跡森野旧薬園入口
桃岳庵
カタクリ
所在地
奈良県宇陀市大宇陀拾生・上新
区分
遺跡 | その他
指定内容
国指定史跡

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
森野旧薬園は、現存するわが国最古の私設薬園で、江戸時代中期、享保14年(1729年)に森野通貞(号は賽郭)により創始されました。
享保14年、幕府採薬使として植村左平次が採薬調査に訪れた際、賽郭は薬草見習いとして出仕しました。この採薬調査に協力した功績により、同年に幕府から森野賽郭に対し貴重な外国産の種苗6種が下付され、賽郭自らが各地で採取した薬草類とともに、薬草木を自家背後の台地上の畑地で栽培しました。これが当薬園の成立とされています。今、当薬園の尾根西斜面で見ることができる老木の山茱萸(さんしゅゆ)は、この時に下付されたものといわれています。
その後も幕府からは薬草木が下付され、薬園として整備が重ねられ、次第に幕府官園の補助機関としての地位を固めていきました。
江戸時代に開設された日本の薬園は、幕府、諸藩で設置されたほか、商人、本草学者などによる私設薬園の開園も相次ぎ、ほぼ日本全土に広がりました。しかし、明治維新に至り、これらの大半が閉鎖され、その状態を今に残している薬園は、ほとんどありません。このような状況のもと、当薬園は、開園当初の状況が現在まで連綿と継承され、薬園としての旧態が良く保たれています。
現在、当薬園内には約500種以上の植物が確認されており、きめ細かい専門的な管理によって、多様で貴重な薬草が維持されています。また、桃岳庵や石水亭、賽郭祠堂などと呼ばれている歴史的建造物も残っています。
大正15年(1926年)2月24日史跡指定、昭和6年(1931年)10月23日追加指定。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
『日本書紀』推古19年(611年)5月条に「夏五月の五日に、菟田野(うだのの)に薬猟(くすりがり)す。」といった記載があります。この記載は、史料で確認できるわが国最初の薬猟の記録でもあります。
このような歴史的な背景のもと、江戸時代には、宇陀の地に「森野薬園」が開設され、数少ない民間の薬園として連綿としてよく継承されてきました。また、この頃から宇陀郡をはじめ、大和の各地で農家の副業として防風・地黄・当帰・芍薬などの薬草栽培が盛んに行われ、当薬園の薬草栽培と薬種の製造は地方の物産振興に大きな役割を果たしました。宇陀地方から吉野地方にかけては、各種の薬草の供給地であったことから、大和の中南和地域を中心に薬種、製薬業者が多く興り、宇陀地方にも薬種、和薬、合薬を扱う店が多くありました。このような状況のもと、近代にいたっては、宇陀地域からは、何人もの製薬企業の創業者を輩出しました。
このように宇陀は、古代の薬猟にはじまり、江戸時代には薬種・製薬業者の興隆があり、製薬企業の創業者を輩出する素地は十分にありました。江戸時代以降、当薬園の果たしてきた役割・影響には大きなものがありました。
そして、現在、宇陀市では、薬草を活用したまちづくりを推進しています。今後も当薬園は、薬草を活かしたまちづくりに寄与する大切な文化財です。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
徳川吉宗、植村左平次(政勝)
当資源と関連する文献史料
森野家文書
他地域の関連する歴史文化資源
佐多旧薬園(鹿児島県)、旧島原藩薬園跡(長崎県)、小石川植物園(東京都)
問い合わせ先
宇陀市教育委員会事務局 文化財課
電話番号
0745-82-3976

掲載されております歴史文化資源の情報は、その歴史文化資源が地域にとって大切であると考えておられる市町村、所有者、地域の方々により作成いただいたものです。
見解・学説等の相違については、ご了承ください。