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吉田奈良丸頌徳碑 よしだならまるしょうとくひ

記入年月日 2018/01/01

吉田奈良丸頌徳碑
所在地
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺南1丁目
区分
碑文・道標 | 記念碑
指定内容

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
明治期に浪曲界で一世を風靡(ふうび)した初代吉田奈良丸は、大正4年(1915年)、65歳で逝去しました。その功績をたたえ、二代目奈良丸を中心とする知人や弟子たちによって、昭和3年 (1928年)に、吉田奈良丸がかつて住んでいた場所に建てられました。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
初代吉田奈良丸は、斑鳩に住まいした明治期の浪曲界で活躍した人物であるためです。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
吉田奈良丸〈嘉永4年(1851年)~大正4年(1915年)〉 明治期の浪曲家。本名は竹谷奈良吉。初代奈良丸は嘉永4年(1851年)に現在の広陵町に生まれ、幼少の頃から利発で、和漢の書をひろく読み、能楽にも通じていました。芸事が好きで、吉田音丸に入門し吉田奈良丸を名乗りました。明治30年(1897年)に法隆寺の並松に引っ越し、浪曲師として名を馳せ、当時60人もの弟子がいました。 晩年は弟子の育成と台本の改作などに力を注ぎ、明治35年(1902年)、弟子の小奈良に「奈良丸」の名をゆずり、自分は、竹廼家(たけのや)養徳斎(ようとくさい)を名乗りました。 なお、頌徳碑を建立した二代目奈良丸は、関西の雄として東の桃中軒(とうちゅうけん)雲右衛門(くもえもん)とともに天下に並び称され、平易、優美な節調と美文調の歌詞とによって大衆を魅了しました。
問い合わせ先
斑鳩町文化財活用センター
電話番号
0745-70-1200

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