活かす 歴史を活かす地域の取組

歴史を活かす地域の取組

信貴山城址の保全活動 平群町

信貴山城は、かつて信貴山頂(雄岳)にあった山城です。松永久秀がここを居城としましたが、天正5年(1577年)に信長軍に包囲され久秀の自害とともに廃城となりました。現在でも堀・土塁・門跡などの城址が残されており、“兵(つわもの)どもが夢の跡”をより魅力あるものにする活動が行われています。

地元のNPO法人・寺・自治体などが一体となって保全活動に取り組んでいます 地元のNPO法人・寺・自治体などが一体となって保全活動に取り組んでいます

栗山道義氏 長田吉弘氏 松井介澄氏 に聞く
2017年12月
信貴山城址への歩道

信貴山城址保全研究会の発足

信貴山は、聖徳太子がわが国で最初に毘沙門天を感得した場所であることから、“霊峰信貴山”として親しまれています。しかし、戦国時代には広大な山城があり、松永久秀をはじめとする武将たちの戦いの場となったことは、あまり知られていません。「“兵(つわもの)どもが夢の跡”を多くの人に知ってもらい、体感してもらいたい」―――そのような想いをもつ人たちが集まり、平成26年(2014年)、NPO法人信貴山観光協会(理事長:田中眞端)の中に、信貴山城址保全研究会が発足しました。

整備活動の様子

さまざまな取組を通じて、信貴山城址の魅力をアピール

信貴山城址保全研究会の取組としては、まず、城址の整備活動があります。これは、登山道から松永屋敷跡を含めた城址一帯の散策道を整備し、間伐や雑木整理をすることによって、訪れる人が歩きやすいようにする活動です。発足以来、13回実施しており、地元の方々を中心に毎回約40人がボランティアスタッフとして活動をしています。城址を整備したことで、他団体の方々にもウォーキングイベントなどで城址を散策していただけるようになりました。
また、歴史家の先生などを招いて、講演会や現地見学会(「松永弾正久秀のロマンをたどるツアー」)などのイベントも行っています。これらのイベントには、毎回多数の方々が参加しています。このような取組の結果、信貴山城址に関心をもち、現地を訪れる人が増えています。

朝護孫子寺内にある案内標識

地元が一体となって保全活動に協力

保全活動は、信貴山城址保全研究会だけで行えるものではなく、地元の朝護孫子寺をはじめ、平群町、三郷町、王寺町からのさまざまな協力のうえに成り立っています。

特別講演会の告知チラシ

また、整備活動を行ったボランディアの方々にはポイント券が発行され、信貴山観光iセンターで使える仕組みになっています。さらに、平群町では、 「信貴山城址保全研究会」をふるさと納税の指定団体とすることで活動資金面での協力を行うとともに、城址の整備に必要な許認可面でも協力をしています。このように地元が一体となって保全活動に協力しています。

整備中の城址

保全活動が目指すもの

保全研究会の構成員はシニア層が多いのですが、城址の整備活動には学生団体が参加されていたり、ボランティア実習として地元の専門学校生が参加されたこともあります。次世代を担う若い方々の協力が得られ、世代の枠を超えて保全活動に取り組めることは、保全研究会にとって非常にありがたいことです。小学校の遠足で訪れてもらえるようになるなど、松永屋敷跡を含めた信貴山城址が、朝護孫子寺と並ぶ信貴山を盛り上げる拠点になることを目指し、“「来て、知って、歩いて」もらえる信貴山城址”をテーマに活動していきます。