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室宮山古墳(指定名:宮山古墳) みややまこふん

記入年月日 2016/11/09

南石室の長持形石棺(昭和25年撮影)
所在地
御所市大字室地内
区分
遺跡 | 古墳
指定内容
国指定史跡

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
5世紀前葉に南葛城の地に前代の系譜を引かずに突如現れる大形前方後円墳で、墳長238mという破格の規模を誇ります。後円部の埋葬主体は、墳丘中軸を挟んで南北にあり、いずれも板石積みの竪穴式石室に竜山石製の長持形石棺を納めます。とりわけ南石室は竪穴式石室に納められた長持形石棺を現地で見学できる唯一の場であるため、全国からの見学者が絶えません。石室を取り囲み方形に巡る埴輪列が幾重にもあり、うち南石室の外側の埴輪列は甲冑・盾・靭形埴輪を外側を向けて樹立します。石室への侵入を武威により阻止するかのようであり、被葬者の親衛隊の武装を写したものと考えられます。「大王の柩」ともいわれる長持形石棺は、南石室の場合、蓋の全長3.77mという豪壮なもので、蓋石上面には8区画の亀甲形装飾と6箇所に縄掛突起、側板各辺には2つずつ縄掛突起があります。南石室の副葬品は盗掘のため破片になっていましたが、三角縁神獣鏡、甲冑、刀剣、勾玉、管玉など多くの出土が知られています。北石室にも長持形石棺の存在が判明しており、注目される副葬品に船形陶質土器があります。被葬者としては、葛城襲津彦とみる立場が有力です。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
大形墳は多くが宮内庁の管理となっている中で、本墳は墳丘に登って竪穴式石室に納められた長持形石棺までも見学できる唯一の場となっています。5世紀の大王墓そのものを体感することができます。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
被葬者としては葛城襲津彦とする説が有力で、神功皇后摂政五年紀には新羅の草羅城を抜いて帰ったこと、この時の捕虜はいまの桑原、佐糜、高宮、忍海など四つの邑の漢人の始祖であるなどの記事があります。このほか同六十二年紀、応神十四年紀、仁徳四十一年紀にも朝鮮半島で葛城襲津彦が活動をする記事が見えます。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
葛城襲津彦は葛城氏の始祖。娘の磐之媛は仁徳天皇の皇后。子(または孫)に玉田宿禰と葦田宿禰。玉田宿禰の子は円大臣。円大臣は雄略天皇に攻められ、葛城本宗家滅亡。
当資源と関連する文献史料
古事記、日本書紀、百済記
問い合わせ先
御所市教育委員会文化財課
電話番号
0745-60-1608

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