小野老(おののおゆ)が、赴任先の大宰府(現在の福岡県太宰府市)から奈良の都を想って詠んだ歌。都の様子を最大級の褒め言葉で詠んでいます。奈良時代の大宰府は、平城京に次ぐ第2の規模でした。いわば、平城京のミニチュア版のようなもの。しかし役人たちは、もう二度と奈良に戻れないかもしれないという不安を抱いており、単に懐かしい気持ちだけで詠んだ歌ではありません。現代人にも通じる「離れたからこそわかる地元の良さ」を再確認したのかもしれませんね。
歌にある「薫(にお)ふ」は、ただ香るだけではなく、「美しく色が照り映え、輝いている」という意味も。花が真っ盛りで、生命力にあふれている様子を都のイメージに重ねています。
天皇の住まいにより近い場所に住居を与えられるのは、位の高い者だけ。長屋王邸は、平城宮の東南に隣接していました。約6万㎡もの広さを誇り、住居部は、天皇の住居に準ずる広さでした。邸跡は、昭和61年から発掘調査が行われ、約4万点の木簡が出土。現在、邸跡には商業施設が立っています。南側の入口前には、発掘調査中の航空写真や復元図などが記された案内板があるので、ぜひ立ち止まって見てみては。
『万葉集』巻15の半分以上が、阿部継麻呂(あべのつぐまろ)を使節団代表とした遣新羅使らの歌で占められています。この歌もその中の一つ。
奈良市役所の1階には、平城京を1000分の1に縮小した復元模型が展示されています。平城宮跡から歩いてきた現代のこの景色に、遣新羅使が思い出したであろう美しい都の姿を、重ねてみてはいかがでしょう。