大伴坂上郎女は、優れた万葉歌人として知られる大伴旅人の妹。頭が良く、歌も上手、そのうえ家のことを取り仕切れる“スーパーレディ”でした。この歌は婚姻関係にあった藤原麻呂に向けてうたったもの。藤原麻呂が「久しぶりに君の家に行きたいんだけど」と詠んだ歌に対して返した4首のうちの一つ。残り3首は下記の通りです。
●佐保河の小石を踏み渡って宵闇の中をあなたの黒馬の来る夜は、年に一度でもあってほしいものです。(巻4-525)
●来ようといったって来ない時のあるものを、来られないだろうといっているのに来るだろうなどと待ってはいますまい。来られないだろうとおっしゃっているものを。(巻4-527)
●千鳥の鳴く洲もあるような佐保河の渡りは瀬が広いので、板を打って橋だって作りましょう。末長くあなたが来るというのでしたら。(巻4-528)
現代でも、時代の変化とともに化粧スタイルの流行り廃りはありますが、万葉歌から、当時の化粧スタイルの流行りがわかります。この当時の流行は、三日月眉の「蛾眉(がび)」。蛾眉は、蛾の触角のように美しい弧を描いた細い眉のことで、当時の美女の証でした。
当時の「旅」の概念は、現代人とは少し違います。私たちの旅といえば、楽しい観光旅行などを思い浮かべますが、古代では旅は危険や死と隣合わせでした。だから、旅の安全を祈り、神に幣(ぬさ)と呼ばれる紙や布で作った供え物などを捧げました。
また、「妻」と「家」は日常、「旅」は非日常の状態と考えられており、「妻に会いたい」とは「妻のいる家に帰りたい」ということを表しています。
「わが背子」は「愛しいあなた」のような意味。天皇のことをうたっていますが「大王(おおきみ)」ではなく、「私の夫」と詠んでいる、親密な恋歌です。現代の私たちも、素晴らしい景色を見て、「彼氏と見たかった~」と思うこともあるのでは。奈良時代の光明皇后も同じ。「1番大切な人と一緒に見たかった!」とうたっているのです。
言葉遊びの歌。衣を「貸す」と「春日」、「宜寸川(よしきがわ)」と「縁(よし)」と、かけ言葉が多用されています。
「衣を貸す」とは、次に会うためのおまじないとして、恋人同士で衣を交換すること。身につけている物には、その人の魂が宿るとされていました。現代でいうと、普段使っているアイテム、例えばペアの腕時計などを男女で交換して使うようなものです。その人の物を持つことで、愛する人を傍に感じることができるのでしょう。