出会う 奈良県歴史文化資源データベース

海龍王寺 かいりゅうおうじ

記入年月日 2016/06/25

国指定 重文 西金堂
所在地
奈良市法華寺町897番地
区分
複合型 | 複数の歴史文化資源を包含する歴史文化資源
指定内容

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
奈良時代当時の建物である国宝・五重小塔および重文・西金堂、同・聖武天皇勅額が伝えられています。平城遷都により藤原不比等が邸宅を構えるにあたり、飛鳥時代から存在していた海龍王寺の前進寺院を取り壊すことなくそのまま邸宅を建てたので、寺院は残されることとなりました。その後、不比等の邸宅を光明皇后が相続して皇后宮となり、光明皇后宮の宮廷寺院になりました。後に唐から帰国した玄昉が初代住職に任ぜられたことで平城宮内道場となりました。飛鳥時代の先住信仰が藤原氏と光明皇后の力添えで奈良時代の最新仏教寺院へと昇華した例を唯一伝えている寺院です。小塔は奈良時代の塔で唯一現存する五重塔であり、奈良時代の五重塔建築様式を伝える塔として高い価値を有しています。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
平城宮が造営される以前からこの場所に海龍王寺の前身寺院が存在しており、藤原不比等、聖武天皇・光明皇后と奈良時代を代表する人物と大変ゆかりが深い。国宝・五重小塔、重文・西金堂は、光明皇后宮内に建造された唯一の奈良時代建造物であり、平城宮と光明皇后宮の祈りと仏教を現在まで伝える貴重な文化遺産である。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
続日本記 天平18年(746年)6月18日の条に、当寺 初代住職玄昉の履歴が記される中、「内道場」についても触れられています。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
海龍王寺の前進寺院が藤原不比等の邸宅に存在しており、光明皇后の発願により海龍王寺とあらためられました。阿倍仲麻呂とともに渡唐した玄昉が初代住職になり、奈良仏教繁栄の第一歩を刻みました。聖武天皇下賜の勅額を有します。
当資源と関連する文献史料
正倉院文書 続日本記
当資源と関連する伝承
玄昉が唐より帰国の途中、東シナ海で暴風雨に襲われたが、海龍王経を一心に唱え、かろうじて種子島に漂着しました。このことから海龍王が玄昉の船を護ったと人々は信じ、海龍王寺において遣唐使の航海安全を祈願しました。
他地域の関連する歴史文化資源
和歌山県・道成寺。長崎県・五島福江島にある遣唐使船をつないだ艫綱石(ともつないし)。福岡県・太宰府観世音寺。
問い合わせ先
海龍王寺
電話番号
0742-33-5765

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見解・学説等の相違については、ご了承ください。