達磨寺方丈 だるまじほうじょう
記入年月日 2016/06/30



- 所在地
- 奈良県北葛城郡王寺町本町2丁目1番40号
- 区分
- 建造物 | 宗教建築
- 指定内容
- 県指定有形文化財
※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。
- 歴史文化資源の概要
- 平成元年(1989年)3月10日付けで県指定有形文化財に指定されました。3室2列の禅宗方丈の基本形からなります。屋根は本瓦葺で、西面が入母屋造、東面が切妻造と非対称なのが特徴です。東面の切妻側には降棟がないことから、本来は東西両面とも入母屋造であったのが、後に改築されたのではないかと考えられています。建立は寛文7年(1667年)で、棟札から京都の工匠によって建てられたことが判明しています。昭和初期までは、町指定文化財の木造千手観音像が方丈の仏壇に安置されていました。奈良県では本格的な方丈建築が少ないなか、建立当初の形式がよく保存されています。
- 地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
- 禅宗寺院が少ない奈良県のなかで方丈建築が残されており、達磨寺のなかでも唯一の歴史的建造物として残されています。
- 「記紀・万葉集」との関連とその概要
- 『日本書紀』推古天皇21年(613年)12月条に、聖徳太子が飢人と出会い、助け、埋葬したところ、その飢人の遺体が消えてなくなったとされる飢人伝説があります。のちに飢人が達磨大師の化身とされて達磨寺が開基されました。
- 当資源と関連する歴史上の人物とその概要
- 伝承によれば、慶長10年(1605年)に豊臣秀頼・片桐且元によって建立されたとされていますが、実際は寛文7年(1667)の建立です。秀頼・且元は当該期に多くの寺社を再建しており、付近では法隆寺の慶長大修理にも関わっています。
- 当資源と関連する伝承
- 伝承によれば、慶長10年(1605年)に豊臣秀頼・片桐且元によって建立されたとされています。寛文7年(1667年)の棟札との関わりは不明です。
- 問い合わせ先
- 王寺町 地域整備部 地域交流課 文化資源活用係
- 電話番号
- 0745-72-6565
掲載されております歴史文化資源の情報は、その歴史文化資源が地域にとって大切であると考えておられる市町村、所有者、地域の方々により作成いただいたものです。
見解・学説等の相違については、ご了承ください。