出会う 奈良県歴史文化資源データベース

茅原のトンド ちはらのとんど

記入年月日 2017/09/06

茅原のトンド
点火を待つ雌雄の大トンド
所在地
奈良県御所市茅原279 吉祥草寺
区分
民俗 | 無形民俗文化財
指定内容
県指定無形民俗文化財

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
江戸時代には確実に行われていた茅原のトンドは、1300年程前の天智天皇の時代に、役行者が天下泰平などを祈願して行われたともいわれています。 毎年1月14日、小正月の夜、役行者生誕の地といわれる御所市の吉祥草寺境内で、地元の茅原・玉手両地区によって作られた雌雄一対の大トンドが豪壮に焼き尽くされます。 その重厚感もさることながら、形状が他の地域では見られない朝顔形をしていることが特徴です。 正月に使った門松や注連縄を焼くトンド行事は全国でみられますが、茅原のトンドでは、そういった農村のトンド行事が真言系修験寺院の修正会と結びついており、貴重な事例といえます。 昭和58年(1983年)に県の無形民俗文化財に指定されました。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
地元の人たちにとっては、自分たちが子どもの頃から当たり前にある行事であり、言い伝えにもあるように、遥か昔から受け継がれてきた行事であるという認識を強くもっているため、自分たちの代で絶やしてはいけないという思いから、熱心に行事が続けられています。 また、小学校における総合学習の一環としてトンドの松明作り見学が行われていたり、行事当日には県外も含めた見学者で境内がいっぱいになるなど、教育・地域活性化の両面でも大きな役割を果たしています。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
茅原のトンドにはいくつかの起源説話があり、「天智天皇の御代に、役小角が天下泰平、四海静謐、五穀豊穣などを祈願して始めた」というものや、「文武天皇が御悩みの折、吉祥草寺に入御され、霊験があったために盛大な法要を行わせた」というものが、最も古くに行われたとする起源説話です。それらの中でも、特に密接に関わる人物が役小角です。 役小角は役行者ともいわれ、御所市茅原で生まれた飛鳥~奈良時代に実在した呪術者であり、修験道の開祖とされている人物です。御所市に所在する葛城山や金剛山の中で修業したといわれており、古文書の中でも鬼神を操る姿が様々に描かれています。
当資源と関連する文献史料
高田十郎編 1933年 『大和の伝説』
御所市文化遺産活性化委員会 2014年 『茅原のトンド 総合報告書』
当資源と関連する伝承
・昔、役行者が大峯山へ行く途中、多くの茅が茂っていたので焼き払いました。それが茅原のトンドの始まりです。それから少したって、跡に茅原の村ができました。ここでは年に一度トンドを行わなければ必ず火事が起こるといいます。
・吉祥草寺の伝えによると、文武天皇が病気の時、七日間、この寺にきて祈願すると治りました。そこで大法会をすることになり、土地の人々も集まってきましたが、冬の夜中で暖を取り、境内を照らすため、大きな松明を燃やしました。これが茅原のトンドの始まりだといいます。
問い合わせ先
御所市教育委員会文化財課
電話番号
0745-60-1608

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