ヴェネチア・ビエンナーレから思う私的なこと(2022年6月29日)

 時間があいてしまいましたが、5月のコラム(第44回/5月4日)で、世界屈指の規模と歴史を持つ国際現代美術展ヴェネチア・ビエンナーレが開催中であることを書きました。120年超の歴史があるこの展覧会への日本の公式参加は1952年からですので、今年で70年ということになります。たまたま先日、日本参加の事務局を担う(独立行政法人)国際交流基金から、日本公式参加70周年記念としてこのほど出版された『ヴェネチア・ビエンナーレと日本 Japan at the Venice Biennale 1952-2022』(国際交流基金=企画、三上豊ほか=編、平凡社)をご恵贈いただきました。70年にわたるヴェネチア・ビエンナーレでの日本人作家の展示記録を中心に、豊富な写真図版とテキストでその軌跡を振り返る大変貴重な大部の記録集となっています。
 ところで、国際交流基金がこのような記録集を発行するのは今回が初めてではありません。前世紀(!)の話になりますが、1995年に『ヴェネチア・ビエンナーレ―日本参加の40年 The Venice Biennale: 40 Years of Japanese Participation』(国際交流基金・毎日新聞社=編)という、これも分厚い記録集が日英バイリンガルで出されています。この本の内容・情報は2022年の『ヴェネチア・ビエンナーレと日本』にもかなり再利用されているそうです。
 この2冊のヴェネチア・ビエンナーレ参加記録集を通覧すると、現代美術のグローバル化が進んだ現在へ至る時代の推移がよくわかると思います。国際美術展(と言いながら欧米中心主義の)への参加の仕方も手探りの状態に始まり、日本の現代美術を認知させる苦心の道程がうかがえます。今でこそ欧米の美術館で展覧会に招待される日本人作家も増え、草間彌生や村上隆といった海外で人気の高い作家もいますが、そこまでの過程は長いものだったのです。

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 なお、1995年版については2022年版でも1ページを割いて紹介しているのですが(p.305)、それを読むと個人的に少し感じるところがありましたので、いささか私的な思い出を書かせていただきます。
 実をいうと、私は1995年版の原稿をほんの少しだけお手伝いしており、奥付に「翻訳協力」で私の名前も載っています。同書には各回のヴェネチア・ビエンナーレ開催当時の文献なども丁寧に収集して再録しているのですが、その英語文献の翻訳をいくつか担当した次第です。そして奥付に「編集」として単独でクレジットされており、2022年版でもその尽力ぶりに名前を挙げて言及されていたのが、当時毎日新聞東京本社出版局に在籍していた故・三輪晴美さんでした。彼女と私は大阪大学文学部美学科の同期でもあり、当時私は東京の原美術館に勤務していましたが、大変だからちょっと手伝って、と電話がかかってきて翻訳を引き受けたのです。
 入社当初の三輪さんは美術館と共催美術展を行う事業部配属でしたが希望して出版局に移りました。しかし2008年に癌が見つかり、その時点で乳癌が骨転移してかなり進行している状態だったそうです。以来抗がん剤治療による闘病生活を続けることになり、それでも仕事はあきらめず、出版から生活報道部に移籍して、はじめて「新聞記者」としてスタートしました。その後の自己の闘病体験も生かした取材・執筆活動は『乳がんと生きる ステージ4記者の「現場」』(毎日新聞出版、2016)といった単行本にまとめられています。そして発症から10年後、2018年に地元へ帰ることになって毎日新聞大阪本社へ異動となり、今度は学芸部で美術記者として再び美術と向き合うことになりました。かくいう私は2019年に東京から奈良へ移ってきたので、ここにきてついに取材する側と取材される側という立場になった次第です。そんなわけで、当館で開催した特別展、「ヨルク・シュマイサー 終わりなき旅」(2019)や「熱い絵画 大橋コレクションに見る戦後日本美術の力」(2020)を取材して紙面で記事にしてくれました(後者はまだリンクが残っています)。来館取材で対面したときには、新たな抗がん剤治療を再開したため頭髪が抜け落ちてスカーフで頭部を包んでいる状態でした。それでも一見元気に記者生活を続けているようだったのですが、昨年5月、毎日新聞の上司の方から、容体が悪化して亡くなったという知らせを受けました。長い闘病の日々だったとはいえ充実した生き方をしたのではないかと推察いたします。最後は地元で過ごすことができたのもよかったのではないでしょうか。彼女が編集者として奮闘した『ヴェネチア・ビエンナーレ―日本参加の40年』は、日本現代美術史をたどる貴重な文献の一冊として、今後も活用されるだろうと考えています(自分も少し関与したので手前味噌になってしまいますが…)。

安田篤生 (副館長・学芸課長)