学芸員の部屋

ここでは当館学芸員のコラムを随時掲載していきます。


展覧会づくり裏話 ―きっかけを与えてくれた2冊の本

 

村上かれん(学芸員)

2025年5月14日

 

現在奈良県立美術館では、コレクション展「新・古美術鑑賞―いにしえを想いて愛せる未来かな」を開催中です。

なんだか妙に長くて変なタイトルだと思いませんか?

今回は、こういったタイトルをつけるに至った、展覧会のテーマづくりの裏話をお話させていただきます。

 

日本美術の展覧会の客層についてのモヤモヤ

まず、わたしの心の中に一つのモヤモヤがありました。

わたしは、大学で美術史学を専攻し、日本・東洋美術史のゼミに所属していました。とくに、室町時代の美術を中心に勉強しています。

ですので、日本美術の展覧会によく行くのですが、若いお客さんが少ないのです。

友達のSNSなどをみていても、ゴッホやモネなどの西洋美術や、現代アート系の展覧会に行ったという人はいるのに、日本美術、特に古美術はほとんどみません…。(国宝展、伊藤若冲展、鳥獣戯画展などは別)

ここで、わたしは仮説を立てました。

古美術は、真面目っぽくてお勉強の香りがして、小難しいもののように思われているのではないか?

実際に、日本美術の鑑賞教育について調べてみると、

1966年の論文に、日本美術史の鑑賞教育の問題として「用語、文字が難解」「今の子どもと生活感情の上で距離があり過ぎる」などが挙げられていました。(石川一郎「中高教材としての日本美術史(絵画)と鑑賞教育の研究」(『美術教育』1966年)

ちょっと乱暴ですが、1966年の時点でこうなので、現在=2025年の若者にとってはもっと「距離があり過ぎる」のだろうと思いました。

こういう問題をクリアして、若者を含めたもっと多くの人に日本の古美術を観てもらえる展覧会を作ろう、と思ったのが始まりでした。

 

きっかけを与えてくれた2冊の本

そこで、どうしたら日本美術を身近に感じてもらえるのか、面白がってもらえるのかを考えました。奈良県立美術館のコレクションをただ並べるだけでなく、面白い切り口で新鮮にみせたい…と思いました。

そんな中、展覧会のテーマを考える上で、きっかけを与えてくれた本が2冊あります。

 

他の世界に出会う場所としての美術館

まず1冊目がこちら。

深井龍之介『世界史を俯瞰して、思い込みから自分を解放する 歴史思考』ダイヤモンド社、2022

著者の深井さんは、「世界史データベース」を作る株式会社COTENの代表で、「歴史を面白く学ぶコテンラジオ」を配信されている方です。

 

本の表紙をめくると、タイトルにある「歴史思考」の意味が書いてあります。

歴史を通して、自分を取り巻く状況を一歩引いて、客観的に見ること

この本には、略奪や人殺しが当然のモンゴルを生きたチンギス・カンや、実はパッとしない青年期を過ごしたマハトマ・ガンディーなどの歴史上の有名人の意外なエピソード、性・お金・命への価値観の変遷などが書かれています。このような具体例をベースに、歴史を知ると、今日の自分の生活の「当たり前」が、過去の人たちの当たり前ではなかったことに気づくことができ、目の前の悩みから解放される効用が語られています。

 

また、深井さんが経営する株式会社COTENのサイトには

COTENは、人文知と社会の架け橋になることを目指しています。

人間文化にまつわる知的な営みである、人文知。

世界史を中心とした人文知の価値を伝え、

人類にメタ認知のきっかけを提供します。」

とあります。

COTENの定義するメタ認知とは

「他の世界に出会うことで、自分や自分の存在している世界を相対化して捉えること」

ということです。

 

わたしは大学院生の頃からコテンラジオのリスナーで、先にラジオから入って本を読んだのですが、

美術や美術史も人文知。美術鑑賞もメタ認知のきっかけになる!」

と心の底から思いました。

美術館で古美術を鑑賞すると、美術を通して、過去という現代とは違う他の世界と出会えます

過去の美術の歴史的背景・鑑賞方法・関連する諸文化を知り、驚いたり共感する体験から得られる新たな知識・視点や価値観は、自分自身が生きていく中でのメタ認知的視点を得ることにつながるだろうと思ったのです。

 

展覧会を企画する上で「メタ認知」がひとつのキーワードになりました。

 

人生を飾る「バラ」としての美術鑑賞

2冊目はこちら。

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』(増補新版)太田出版、2015年(初版:朝日出版社、2011年)

 

要約すると、

産業革命を経て資本主義が勃興した後、人々は生きるための四六時中の労働をする必要がなくなり、「暇」を得た。しかし、その余暇をどう過ごせばいいかわからず、「退屈」してしまう。現代の消費社会は、この「暇」を「退屈」せずに過ごしたいという人々の心理につけ込み、人々を、際限がなく、満足することのない「消費のゲーム」に参加させている。つまり、現代の余暇の過ごし方は、他者から与えられる情報をひたすら追い続けることに終始している。

という内容が書かれています。

こういった構造の奴隷から脱却するための結論の一つとして、

終わらない「消費」ではなく、満足を得られる「浪費」をすることが挙げられます。

ここでいう「浪費」とは、

自分の目の前にある物を享受し思考する贅沢をするということです。

音楽や美術、文学などの教養といわれるものをはじめ、食事ですらも、「楽しむ」「味わう」ための能力を訓練していないと、退屈してしまうのです。

著者は、「楽しむことは思考すること」であると述べています。世界には、思考を強いる物や出来事があふれていて、それらを楽しむことを学び、思考の強制を体験することで、退屈せずにその「物」自体を受け取ることができるということです。

 

私はこの本を読んで、

学芸員の想いはどうであれ、美術館の展覧会も、企画や解説の内容、広報の仕方などによっては、「消費」されるにとどまってしまう可能性があるのではないか、

作品という「物」自体の楽しみ方がわかるような展覧会がいいのではないか、

と思いました。

そして、この本の一節にとても印象深い素敵な言葉があります。

「人はパンがなければ生きていけない。

 しかし、パンだけで生きるべきでもない。

 私たちは、パンだけでなく、バラももとめよう。生きることはバラで飾られねばならない。」

(増補新版(太田出版)28頁。帯にも引用されている箇所です。)

 

美術館で見た美術や、美術館での体験が、それぞれの人生を飾る「バラ」になったらいいな。そう思いました。

 

いにしえを想いて愛せる未来かな

この2冊を読んで展覧会で伝えたいメッセージが決まりました。

まとめると下記のようになります。

 

美術を鑑賞すること、美術館に行くことは、

純粋にさまざまなイメージで「人生を飾る」営みであり、

知らなかった作品や知識に出会うこと、人が生み出した「美」的な表現に出会うことは、

自分の生きる世界を相対化して捉える「メタ認知」的視点を得るきっかけになるのではないか。

 

そして、美術作品一つひとつに蓄積されている過去の人々の想いに触れることで、日本美術により親しみを感じてもらうことができるのではないかと思い、今回の展覧会は、美術を観た人々の鑑賞方法を切り口に企画・構成することにしました。

日本美術史の延長線上の今を生きていることを実感してもらえればというコンセプトです。

 

ということで、展覧会の副題「いにしえを想いて愛せる未来かな」の一句を詠んでみた次第です。

会期残りわずかとなりましたが、来館者の方々が古美術という新しいたのしみを見つけていただければ幸いです。

 

コレクション展 新・古美術鑑賞 ―いにしえを想いて愛せる未来かな

2025年5月18日(日)まで

▲「もし、現代の若者の部屋に古美術があったら?」という素敵なデザインを作っていただきました

 

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