髙島野十郎展の臨時休館延長と閉幕(2021年5月14日)

 特別展「生誕130年記念 髙島野十郎展」、臨時休館中が延長となり、会期終了、閉幕となりました。県立美術館といたしましては新型コロナウィルス感染症拡大の防止のためという理由によりますことで、担当といたしましては誠に無念です。(誠に個人的なことですが、2020年開催の「田中一光 未来を照らすデザイン」展に続き、2度目の会期途中閉幕となりました)「生誕130年記念 髙島野十郎展」自体はこの先岡山の瀬戸内市立美術館、千葉の柏市民ギャラリー、群馬の高崎市美術館へと巡回を予定しております。この巡回スケジュールも今後の状況によりますが、お近くの方は是非各会場での開催をお待ち頂ければと思います。奈良県立美術館といたしましては、各公式SNSや、youtube動画配信などで情報をお伝えしていきたいと思っております。

 作品はまだ展示された状態のままです。あくまでも個人的な事情ですが、展覧会担当になりますと意外と作品をじっくり見ることができないので、動画の撮影時などに、展示された状態の作品を改めて見ています。(作品のコンディション・状態を確認するという意味ではものすごく見ます)
 野十郎作品は、「写実画」として細部にわたる観察をもとに描かれています。写実といえばこの観察ですが、そこにも作家ならではの個性が垣間見えてきます。なんといっても野十郎の観察の第1の特徴は、画面全体にくまなく視線が行き届いている点です。今回の出品作では「菜の花」(個人蔵)などが顕著ですが、画面の端から端まで、いわゆる主役のモチーフと脇役という関係なしに、全面にわたって一切の隙のない密度の画面が展開しています。花のひとつ、葉の一枚、地面の様子、空に広がる空間、特にこの空、空間というよりも、水蒸気を含んだ空気を、花や土と同じ様に物体として掴むように把握しているのが、描写から伝わってきます。
 野十郎の観察の特徴のもう1点は、「認識」の堅固さです。「流」(杏林大学蔵)や「渓流」(福岡県立美術館蔵)などの渓谷の風景を描いた作品では、絶え間のない水の流れが描かれていますが、写真の様に1瞬を切り取ったような表現ではなく、水が流れている、流れという変化をそのまま捉えたような表現で描いています。野十郎本人は「数日間、水の流れを見ていると、流れが止まり、巌が動き出した。私は動いている巌を描いたのです」との逸話を残していて、作家が見つめていたのは単なる風景や瞬間ではなく「流れ」そのものだとという事がうかがえます。こうした透徹した自然への認識は、もしかすると自然科学を学んでいた学生時代が基礎になっているのかもしれません。
 野十郎が題材にしたものは、たしかに現実に存在するものでしたが、その現実を見て、把握する行為の果てに描き出された作品は、ある意味では現実を超越して、野十郎だけにしか見る事のできないものを見せてくれます。ありふれた風景や果物を題材にしながら、その画面に見るものの視線を引き付ける力があるのは、野十郎ならではの視線がその力の一端になっているのだと、動画撮影の合間に考えていました。

 しかしながら、こうして展覧会の様子をお伝えする情報を準備していますと、改めて美術館の展覧会は、美術館の展示室という現実の空間の中で、実物の作品を目の前にする、それに尽きると思い知らされます。各所にご所蔵されている作品をひとつずつ集めていって、展示室の空間に一堂に介する、そのリアルな場所を体験していただくことはどんなに技術的な進歩があったとしても単純に置き換わるものでは(少なくとも今後結構な期間は)無いのではと、本来であれば観覧の方がいらっしゃるであろう展示室で夢想しています。

深谷 聡 (展覧会担当学芸員)