ウィリアム・モリス─文筆家、書物の芸術家(2021年7月20日)

 近年のわが国におけるウィリアム・モリスの人気は、壁紙やテキスタイルで展開されたパターンデザインに対するものが中心だと思いますが、多才なモリスは文芸においても足跡を残しました。
 1860年代、モリス・マーシャル・フォークナー商会を始めた頃から文筆にも手を染め、長編物語詩『地上楽園』(1868-70)で高い評価を得ました。その後も多数の著作を執筆しますが、晩年の活動で特筆すべきは、書かれた内容にとどまらず「書物」それ自体が芸術品であるような「理想の書物」を作ろうとしたことです。
 モリスは50歳代の後半、1891年に私家版印刷工房「ケルムスコット・プレス」を設立し、盟友エドワード・バーン=ジョーンズの手を借りながら、活字・用紙・挿絵・装丁にこだわりぬいた書籍を出版しました。ここでもモリスが範としたのは中世の彩飾写本でした。中世の写本は手書きによるもので、19世紀には活字による活版印刷が普及していましたが、モリスは書物の内容にふさわしい活字の書体(今風に言うとフォント)のデザインから手がけました。書体だけでなく、本に使う用紙、余白や行間など版面のレイアウト、もちろん挿絵に至るまで、「美しい物」としての書物づくりを追究したのでした。それは今日のブックデザイン、タイポグラフィにつながる追究と言えるでしょう。
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画像:ウィリアム・モリス著『世界のかなたの森』
ケルムスコット・プレス版 1894年
Photo ⓒBrain Trust Inc.

 ケルムスコット・プレスはモリスが病没した2年後の1898年に活動を終えますが、それまでに53点・66冊の書物を発行しました。1冊が平均300部ほどの丹精こめられた限定版で、まさに書物の芸術として好評を博しました。これらの中にはジェフリー・チョーサーやウィリアム・シェイクスピアといったイギリス文学の巨匠たちの本もあれば、モリス自身が著した本もあります。ケルムスコット・プレスが最初に送り出した書物が、モリスの筆による愛と冒険の物語『輝く平原の物語』(1891)でした。この後もモリスは、架空の世界を舞台にした冒険譚『世界のかなたの森』(1894)などを出版します。こうした創作活動は日本でも翻訳紹介されており、『ウィリアム・モリス・コレクション』全9巻としてまとめられたこともあります(晶文社、2000-03)。
 モリスの書いた物語は現代的に言うとファンタジー小説と呼べるでしょう。そして『指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)』(1954-55)のJ・R・R・トールキンや、『ナルニア国ものがたり』(1950-56)のC・S・ルイスといった20世紀のファンタジー小説作家に影響を与えたも言われています。
 モリスが生きた19世紀は欧米において近代文芸が発達し、さまざまな文芸のジャンルが分化して成長し始めた時代でもありました。たとえば、推理小説の始まりはアメリカのエドガー・アラン・ポーが書いた短編『モルグ街の殺人』(1841)とされ、フランスのエミール・ガボリオによる『ルルージュ事件』(1866)やイギリスのウィルキー・コリンズによる『月長石』(1868)を経て、いよいよ1887年の『緋色の研究』で名探偵シャーロック・ホームズが登場します。また、ある程度科学的知見に基づいたSF小説(サイエンスフィクション=この言葉自体は20世紀の造語)の先駆的作例としては、ジュール・ヴェルヌ(フランス)の『月世界旅行』(1865)や『海底二万里』(1870)、H・G・ウエルズ(イギリス)の『タイム・マシン』(1895)や『宇宙戦争』(1898)が19世紀に発表されています。
 こうした近代化の時代に、ウィリアム・モリスは美術工芸と文芸にまたがる優れた業績を残したわけですが、その多才ぶりを凝縮して象徴しているのが、晩年にケルムスコット・プレスから発行された「書物の芸術」だったのです。

安田篤生 (学芸課長)